TOP > 小説 > 夏の思い出

36

 

 あまり眠れないまま朝を迎えた。いつものようにラジオ体操に行き、最後の日だというのを実感していた。周りの田圃の風景と、稲の匂いが懐かしく思う。

 帰ってくると、コーンフレイクを無言で食べた。

「お母さんに、よろしく言っといてな」

 伯父さんが僕に話しかけたが、僕は元気がなかった。

「もう少ししたら、帰る準備しないとね。早くしないと神戸に着いたら、夜になってしまうからね」

 僕はリュックサック1つで来たので、リュックサックの中には既に荷物は詰まっていた。

 

 暫くするとのりとけんが来てくれた。4人で庭に出ると、台風で飛んできた丸太の上に乗って遊んだ。

「これもいい思い出だな」

 僕は元気がなかった。それを察したのか、周りの子も元気がなかった。

「しゅん君、そろそろ準備しないと」

 伯母さんが、そう言うと僕は2階にリュックサックを取りに行った。1階に下りてきたときには、玄関前に伯父さんの白いセダンが停まっていた。それを見ると、本当に本当の別れが来たのだと実感した。

 僕はリュックサックを持って車に乗り込むと、3人が駆けよってきてくれた。

「神戸、帰っても、頑張れよ」

「手紙、書けよ」

「また遊びに来いよ」

 別れが近づいてきていることをひしひしと感じ、小さい胸は締め付けれるように寂しさを感じた。

 伯父さんがエンジンをかけると車は振動した。

「バイバイ」

 みんなは一斉に手を振った。車が動き出した瞬間、僕は今まで堪えていた涙が、一気に溢れ出してきた。

「もう、お別れなんだ井上とも。どうして別れを切り出さなかったんだ」

 そう心の中で思っていると、後悔で涙が止まらなかった。そして別れが、こんなに悲しいものだとは思っても居なかった。僕は涙で前を見ることが出来なかった。

 そして車はゆっくり動き出し、車窓からは田園風景が流れていった。

 

 車はゆっくりしたスピードで進み、僕は、ここの風景を頭に焼き付けるようにして、外を見ていた。稲のいい匂いが鼻を突き、何度も見た風景が目の前を流れていった。少し行くと井上を家があり、よく脳裏に刻みつけようと思った。

「誰か追っかけてくるよ」

 少し進んだ所で伯父さんがそう言うと、僕はドキッとした。涙を拭きながら、慌てて後ろを振り向くと、遠くの方で井上が走って追いかけてくる姿が見えた。そのとき僕は目を疑った。

「どうして井上が走ってるんだ」

 そう思っていると、井上は転んだ。

「あっ!」

 僕は大きい声で叫び、また涙が出てきた。

「ちょっと車を停めて」

 そう言い、急いで車から降りると、全速力で井上が転んだ所まで走っていった。

 井上は足と手を大きくすりむき、そこから血が流れていた。僕はハンカチで血を拭いてあげた。しかしいくら拭いても血は止まらなかった。綺麗な白のワンピースも泥で汚れていた。転んだときに付いたのだろう。大きく転んだことが伺えた。

「走れないんじゃなかったの?」

 僕は泣き声になるのを必死で堪えながら言った。

「私、みんと出会えて、本当に楽しかったの。それで、みんなと、もっともっと遊びたいから、一生懸命歩く練習したの。みんなをビックリさせようとして、練習していたの。それなのに帰る事、どうして言ってくれなかったの?!」

 僕は黙って、何も言えなかった。

「さっき、のり君とけん君が走って家に着てくれて、しゅん君が神戸に帰ったって教えてくれたの。それで私、慌てて、家を飛び出したの」

「ごめんなさい」

 僕は別れを切り出せなかったばかりに迷惑掛けた事を反省し、泣いた。

 

「これ、しゅん君が神戸に帰るときに上げようと思って、作っていたの」

 見るとそれは折り紙で作った箱だった。井上は転んで足を擦りむき、ワンピースを汚していたのに、紙で作られたこの箱は無傷だった。転んだときに、この箱を必死に守ろうとしていた事が想像出来て、また泣けてきた。井上が人を思う大きな心の温かさと、そう言う心の優しさがある事を僕は知っていた。ハンカチで傷口を押さえているが、血は止まることが無かった。

 その箱は2つが組み合わさって、1つの箱になっている。

「潰れなくて良かった」

 井上はニコッとした。こんな状況でも、笑顔を見せてくれた。その笑顔がまた輝いていて、僕にとっては眩しかったので、このまま別れたくないと言う気持ちにかられた。

 折り紙で作った蓋を開けると、中には折り紙で折った昆虫が沢山入っていた。僕は最高に嬉しかった。この折り紙1つ1つに井上の心がこもっているように思えて、今まで生きてきた中で、一番嬉しいプレゼントに思えた。

「神戸に帰ったら、手紙送るから」

「私も、返事書くから」

 井上はニコッとした。

「また来年の夏にはきっと来るから」

「私、それまでに元気になってるから。私の元気な姿を見てね」

 そしてお互い涙を拭きながら沈黙が続いた。

 

「もう私は大丈夫だから。早く車戻って。電車に遅れたら困るし」

 そう言って井上は立ち上がると、ニコリとして、ぎこちない足どりで、元来た道を歩いて帰った。まだ歩くのが苦手なのに、僕が帰ることを言わなかったあまりに走らせて、怪我をさせてしまった事に後悔した。僕は暫く、井上の帰る姿を見ていたかった。

 暫くすると、井上は振り返って、大きく手を振ってくれた。その途端バランスをくずし、またヒヤッとさせられた。足からは、まだ血が流れていた。

「また、絶対に、絶対に、遊びに来てね」

「うん。絶対に、絶対に、遊びに来るから」

 僕も大きく手を振り返した。井上との別れは悲しかったが、でも最高に幸せな別れ方が出来た。そう思うと、嬉しさと悲しさが混じった、いい気持ちになれた。

 

 僕は神戸に戻ってきても、暫くは井上の事を忘れることが出来なかった。夏休みから冬休みに変わり、まことが神戸の僕の家に遊びに来たとき、僕は真っ先に井上の事を質問した。

「あれから、どうなった?」

「うん、今では元気に遊び回ってるよ」

 それを聞いた僕は胸をなで下ろした。そして、楽しかった井上との思い出が走馬燈のように蘇ってきた。

 そして僕は、ずっと腑に落ちない疑問を4ヶ月間持ち続けていた。それはプールでの潜りの勝負だった。あのときどうして、まことが負けたのか。たまたま体調が悪かっただけなのか、ずっと疑問に思っていたのだ。それに0.5秒差で勝つなんて、おかしいと思ったいた。

「あれは、のりが言い出したんだ」

「のりが?」

「しゅんが井上の事を一番愛しているように思えたし、もうすぐ神戸に帰るので、最後にいい思い出を作らせてあげようと提案して、僕にわざと負けるように言ってきたんだ」

 それを聞いたとき、僕は後ろから頭を叩かれるような衝撃を感じだ。負けてくれたことにも気づいてなかったし、僕にそんなに気を遣ってくれていた事にも気づいてなかったのだ。なんて鈍感だったのだと思わされた。

 でもお陰で井上をおんぶすることが出来、僕は幸せな気持ちになれた。そして負けてくれたまことにも、のりにも、けんにも感謝した。 


おわり
最後まで、読んで頂き有難うございました。

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