TOP > 小説 > トゥール・ド・神戸

 ホテルの外に出ると、朝から降り出していた雨はやんでいた。フレンチレストランの「ムッシュ・ピエール」は、アラン・ピエールが作ったものだ。入り口の前の狭い場所には、料理に使われる20種類のハーブが植えられていて、優しい緑が落ち着いた気持ちにさせる。店の入り口の壁は、明るい白っぽい色の煉瓦風のサイリングが張られていて、茶色の扉は光沢感があり、軽い素材で出来ていた。

 店内に入ると、テーブルは半分ほど埋まっていたが、静かで、落ち着いていた。テーブルの上には真っ白なテーブルクロスがかけられていて、その上には光沢のある陶器の皿、その横には綺麗に磨かれたシルバー、その前には光を反射して光っているワイングラスが置かれていた。2人はウエイターに案内され、窓側に座った。

「何か緊張するね」

 香代はウエイターに渡されたメニューは見ながら、店内の静かな雰囲気に緊張していた。今まで入った店の中では一番静かだった。

「静かだね」

 山崎もどことなく緊張していた。時間は6時前で日はすっかり沈み、海や空は真っ暗だった。しかしメリケンパークはライトアップされていて、昼間の景色とは違っていた。ホテルオークラ、神戸海洋博物館のモニュメント、ポートタワー、神戸メリケンパークオリエンタルホテルは全てライトアップされている。

「綺麗ね〜」

 香代は窓から見える風景に見とれていた。

「昼間とは、また違うね」

 レタスをざっくり切り、トマト、エビ、イカなどを入れ、ドレッシングをかけたサラダが出された。2人は出されたサラダを静かに食べた。ポタージュを静かにスプーンですくうと、音を立たないように静かに飲んだ。店内が静かなので話すことにも気が引けた。その後、牛ヒレステーキを静かにナイフで切り、口を入れた。

「柔らかくて美味しい」

 香代は声のトーンを落とし、嬉しそうに食べた。

「ほんと柔らかい」

 トマトのパスタと、焼きたてパンを持ってきてくれた。パンは食べ放題だ。パスタを食べながら、パンをほおばった。静かな店内に、また寂しさがぶりかえってきた。静かにコーヒーを飲み、ライトアップされたメリケンパークをボーと眺めていた。

 昼間行った、モザイクの2階のウッドデッキに、もう一度行った。もう雨はやんでいたが、床は濡れていた。山崎は香代の肩を優しく包み、香代は頭を山崎にもたれさせ、山崎の温もりに包まれた安心感を抱きながらも、悲しい目で夜景を眺めていた。

「明日でお別れなのね」

 香代は目に涙を溜めながら、泣いているのを判らないように言ったつもりだったが涙声だった。

「うん」

 山崎は静かに頷くしかない。

「私、空港まで送りに行くからね」

 香代の目は涙で溢れ、景色が目に入ってなかった。

「ありがとう」

 目からは溢れる涙が頬を伝った。

「短い間だったけど、本当に有難うね」

 もう泣いているのを抑えきれなくなり、泣きながら喋った。そして山崎は言葉を失い黙ってしまった。

「この7日間は、本当に楽しかったよ。東京に住んでいる山崎君に、色々美味しい店とか案内して貰って、本当に美味しかったし、楽しかった」

 何も言わない山崎に、香代は更に言葉を繋いだ。

「この楽しかった思い出だけでも、これから10年間は頑張れるからね」

 香代は本当は張り裂けんばかりに悲しんでいるのに、山崎に心配させないように強がりを言った。

「本当に本当に、明日でお別れなのね?」

 本気で泣いていた。しかし今まで黙っていた山崎の口から驚くべき言葉が口をついて出た。

「でもアメリカから帰ってきたら、必ず神戸に戻ってくるから」

「え!本当に神戸に戻ってくるの?」

「本当に戻ってくるよ。それまで待っていて」

「本当に?」

「そして帰ってきたら、結婚しよ」

 山崎は緊張しながら答えた。

「えっ!」

 香代は驚いて聞き返した。

「帰ってきたら結婚しよ」

 香代は、まだ驚きの表情を浮かべている横で、山崎は鞄の中に手を突っ込んで、取り出した物を香代に渡した。

「これが婚約指輪」

「えっ!」

 香代はこの2日間くらい暗い表情をしていたが、みるみる笑顔に変わっていった。今までの曇った表情が嘘のように、澄み切ったような笑顔に変わり、元の明るさを取り戻した。

「ずっと一緒だったのに、いつ買ったの?」

 まん丸な目をパチクリさせながら聞いた。

「2日程前の夜に」

「え〜、山崎君、私が暗い表情していたのに、ずっと黙ってたの?」

「香代が悲しそうな表情をしていたから、ビックリさせようと思って」

 山崎は照れながら言った。

「からかってたの?」

 そのときは暗さを全く感じさせない笑顔で、山崎を優しい目で見ていて、山崎は横で照れていた。

「も〜」

 口を膨らませて、すねた。

「ごめん、ごめん」

 山崎は頭を掻きながら、困った表情を浮かべた。

「うん。いつまでも待ってるからね」

 最高の笑顔で、キラキラした目で山崎を見つめた。その目に吸い込まれるように山崎もキラキラした目で香代を見つめた。2人の間には時間が止まったかのように、そこだけ光り輝いていた。香代は笑顔になると自分の方から、山崎にキスをした。

「だいすき〜」

 そう言うと山崎の胸に頭を埋めた。山崎はギュッと抱きしめると、香代の温かさが伝わってきた。

「もう寒いし、ホテル帰えろ」

「うん」

 嬉しそうに答えた。

「あ、そうだ。今日大晦日だから、コンビニ寄ってカップそばでも買っていこ」

「そうだな。大晦日というのをすっかり忘れていたよ」

 山崎も嬉しそうな笑顔を見せた。2人はぐっと肩を寄せ合い、ホテルに帰った。

 

 ホテルの部屋に入ると、香代は嬉しくてジャンプして山崎に抱きついた。

「ちょっと重いよ」

 でもそれにもめげずに香代は笑顔を絶やさなかった。

「すっかり前の笑顔に戻ったね」

「山崎君、私を試したりして、意地悪ね」

「試した訳じゃないよ」

 笑顔で言いながら肩を抱いた。そして香代の足を軽くすくうと、香代は持ち上がり、お姫様抱っこをした。香代は嬉しそうに、山崎の目を見つめている。2人は目を見つめたまま、ベットまで行った。香代をベットに下ろすと、香代は山崎を見つめたまま抱き寄せ、キスした。

 そして2人に甘い時間が流れた。香代にとっては最高の幸せを感じた時間だった。ベットの中で2人のシルエットが重なり、喘ぎ、絶頂に達した。その後も暫くの間、2人はベットの上で重なり合い、お互いに温もりと、優しさを感じた。

 山崎が優しくキスすると、またお姫様抱っこをし、風呂まで連れて行った。風呂に入ると体を洗い流し、一緒に湯船に浸かった。湯船の中で2人は抱き合い、イチャイチャを繰り返し、香代は終始笑顔を絶やさなかった。最高に嬉しかったのだ。

「今日は私にとっての最高の大晦日」

「僕にとっても、こんな大晦日は初めてかな」

 そう言いながら1時間くらい風呂の中で過ごした。

 風呂から出るとバスタオルで体を拭いた。

「お腹空いてきた。そば食べよ」

 香代は嬉しそうに言った。

「よし、食べようか」

 そう言うとポットからカップ麺にお湯を注いだ。3分間待っている間も、香代は終始笑顔だ。

「嬉しそうだな?」

「だって最高に嬉しいもん」

 香代の笑顔につられて、山崎も笑顔になっていた。

「さっ、食べようか」

「うん」

 そう言いながら、そばをすすった。

「あ〜、美味しい」

「うん。旨いな」

 2人は夢中になって、麺をすすった。

「これで、年越しそばも食べたし、来年はいいことありそうな気がする」

 香代の笑顔で言うと、山崎は笑顔を返した。

「あっ、そうだ。夜景見るの忘れていた」

 カーテンを開けると、モザイクと観覧車がライトアップされていたのが見えた。香代はベットにちょこんと座り、モザイクの夜景に見とれていた。山崎は、その姿を見て香代の背中から包み込むようにして座った。

「モザイクから見ても、メリケンパークから見ても、どっちから見ても綺麗だな」

「うん。ずっと見ていたい気分」

 2人は暫く、黙ったままジーと夜景を見ていた。

 

 2人はベットに横になりテレビを見ていた。香代が横になり、その後ろで山崎が香代の首に手を回し、反対側の手はお腹の方に回し、香代を包みこむようにして静かにテレビを見ていた。年が変わったとき、除夜の鐘の鳴る音がテレビから聞こえてきた。

「あっ、そうだ。初詣行かない」

 香代は嬉しそうに言った。

「そうだな。行こうか」

 山崎も嬉しそうに答えた。そう言うと2人は急いで着替えた。香代は、紺の膝丈のスカートを穿き、ピンクのウールのセーターを着て、黒のロングコートを着て、ブーツを履いた。そして白のニット帽、白のニットのマフラー、白のニットの手袋をつけた。山崎はジーパンとウールのセーターを着て、革ジャンに、アンゴラのマフラーをした。

 2人がホテルを出て、メリケンパークを歩いていて居るときは、人はいなくて、静かで、暗かった。2人は手を繋いで歩いた。暗くて少し寂しいが、2人は笑顔を絶やさなかった。外は暗くて、人気もなく、風が冷たかった。昼間の繁華街を見ているので、夜は寂れた街のように見えた。JR元町の方に真っ直ぐ歩くにしたがい人も増えていき、JRを越えたとこで人は溢れていた。JRの高架沿いに歩き、三ノ宮駅手前の生田ロードを北上した。そこに着たときには、すごい人だかりだった。初詣に行く人、遊びに来た人で溢れていたのだ。

 生田神社に向かう生田ロードの両脇には出店も出、人で溢れ、前に進まない状態だ。

「すごい人ね」

「これだと神社に到達するまで1時間くらいかかるかも。離ればなれにならないように手を離すなよ」

「うん」

 笑顔で山崎を見つめた。夜中というのに人はすごく多い。5分経っても、10分経っても、ほとんど前に進まない状態だ。山崎がふと横を見ると、人に揉まれて苦しそうにしている香代を自分の方に抱き寄せた。香代は安心したのか、表情は安らぎ、山崎に包まれている安心感で、笑顔になった。

 境内に足を踏み入れるまでに30分を費やした。

「あと、もうちょっとね」

 香代は笑顔で言った。生田神社は稚日女尊が御祭神で、昔から縁結び、子孫繁栄の神社と言われている。

 2人が先頭の列に来たのは、更に30分後だった。

「やっと順番が廻ってきたね」

 2人で一緒にロープを持つと、同時に鐘をつき、願い事を言った。

 人混みをかき分け、やっとの事で境内から抜け出すことが出来た。2人はまた手を繋いで歩いた。

「香代は何をお願いしたの?」

「内緒」

 ニコニコして言った。

「それより山崎君は何てお願いしたの?」

「多分、香代と同じ事」

「ずるい。言わないつもり」

「香代から言って」

「でも生田神社は昔から縁結びの神様って言うから。そう言うこと」

 香代は恥ずかしそうに言った。

「あ、そうなの。僕も同じような事だな」

 そう言うと2人はニコニコしながら見つめ合った。

「でも、あんな人混みの中に1時間もいたから疲れたよ」

「そうね。満員電車にいたみたいで」

「どっか、お茶でも飲みに行こうか?」

「そうしよ」

 香代は嬉しそうに言った。

 

「今まで行った店で一番良かったのは何処?」

「うう〜ん、それは、やっぱりカフェ・ド・ドルチェよ」

「あの店はすごかったね。豪華なシャンデリアに、大きな窓、その窓にはカーテンが掛かっていて」

「それに天井や柱には絵や模様が掘られていて、まるで宮殿のようだったね」

「それとカフェロワイヤルとオペラもすごかった」

「そうね、あんな所、もう行けないね」

「山崎君との一生の思い出になると思う」

「ほかは、何処が良かった?」

「カフェ・ド・ブリュレもすごかってね」

「アップルとピーチのブリュレ食べた所?」

「そう。ホテルのような重厚感があって、落ち着いた感じのソファーがあって」

「店内はシックで、きらびやかで」

「アールデコ調の調度品もすごかった」

「カフェ・トアもよかった。和風な感じで」

「あっ、そう。ガーリックトーストが美味しかった」

「紅茶のおいしい店もあってね」

「そうそう。ジンジャーとかブルーベリーのティー飲んで」

 香代は思い出しながら、笑顔になっていた。

「店内も綺麗だったね」

「そう青紫と赤紫で、ハーブに囲まれているような感じで」

「店内が綺麗といえば、ローズ・ヒルも良かった」

「店内はバラの色と香りで綺麗だった」

「それにウエイトレスの服装も可愛かったね」

「そうそう、ふわふわのスカートが可愛くて、若い女の子ばかりで」

 2人は手と繋ぎ、終始笑顔で見つめ合って話していた。そして話しに花が咲いていると、いつのまにか元町まで戻っていた。

「思い出しら切り無いね」

「ハッキリ言うと、全部良かったね」

「そう、全部良かったよ。でも懐かしいね」

「1週間前のことなのに、懐かしいね」

「もう一度、一週間前に戻りたいね」

「そうね。そうしたら、また山崎君とやり直せるから」

 2人が楽しく話している内に元町商店街まで戻ってきていた。

「あれ、カンパネラ開いてるよ」

「ほんと、今日は朝まで開いているのかな?」

 香代は目を輝かしながら、足は「カンパネラ」に向かっていた。

 店内の雰囲気は2日前に入ったのと変わらなかった。広い店内。1つの丸テーブルに、ゆったりとした肘かけようの椅子が2つづつ向かい合わせに並べられていて、それが奥まで続き、同じように横にも何列も続いていて、100人が座れる。ダウンライトのオレンジの光が店内を包み、ぴかぴかした光沢感がある床に反射し、更に天井から垂れ下がったスポットライトが店内の光沢感を増していた。パンが美味しい店で、食べ放題で、夜中だというのにお客さんでごった返していた。

「この店、いつも賑わってるね」

 香代は目をキラキラさせながら言った。

「活気があっていいね」

「それに安いしね」

 2人はレジで800円ずつ払いワンプレートを貰うと、席に着いた。

「今日は店にあるパン全部食べるぞ」

 香代が嬉しそうにそう言った。

「それは無理だよ。50種類もあるのに」

「そうだね。この前、食べ過ぎてお腹苦しくなったのに。忘れてた」

 香代は舌を少し出して、照れた。

 中央のパンが置かれている所は、人で溢れていて、そこにウエイトレスがパンをどんどん補強しに来ていた。

「私は、やっぱり柔らかい、このパンが好き」

 とライ麦のパンを囓っていた。

「このパンは噛めば噛むほど味が出てきて美味しいよ」

 山崎はバケットを囓っていた。

「コーヒーもお代わりできるから、コーヒーとパンだけでもお腹一杯食べれそう」

「ほんと、パンが美味しいからね」

 2人は無我夢中でパンを食べていた。

「本当に、パンが美味しいね」

「僕がアメリカ行った後も、また来れていいね」

「また友達と来るよ」

 香代がそう言うと山崎は苦笑いした。

「でもやっぱり山崎君と来るから楽しいのよ。この思い出はいつまでも忘れないように、心の中にしまっておくからね」

「僕も、忘れないからね」

 2人はパンを口に加え、目をキラキラさせながら、見つめ合っていた。

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17へつづく