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2人は手を繋いで、中突堤を北上し、左手にタワーサイドホテルを見、2号線を越え、海岸通りまで戻ってきた。この辺りも普段人通りは少ない。周りをキョロキョロしながら歩いていると、高さ2mもある窓で、全面ガラス張りの、おしゃれなカフェを見つけた。「レ・ミゼラブル」と書かれた、その店に2人は手を繋いで入っていった。ランチのピークの時間ともなれば、この辺りで働いているサラリーマンやOLで込み入っている。しかし今は年末だし、2人が店に入ったときは午後1時を過ぎていたので、中はゆったりと落ち着いていた。
カラフルな椅子が並べられ、曲線のフォルムの椅子は体を包み込むような感じのデザインで、座りやすかった。全面ガラス張りなので、外の落ち着いた景色がよく見える。どっしりした昔の建物は、どうどうとした威厳と、風格をもって建っていて、貫禄があった。
「何か落ち着く」
香代はテーブルに両肘をついて、その手で顔を支えて外を眺めていた。
「このままずっといたい気持ち」
2人はサンドイッチのランチを頼んだ。サンドイッチはライ麦の食パンの間にレタス、トマト、ビーフが挟まったのと、タマゴをマヨネーズで和えたタマゴサンドの2種類だ。それにサラダとコーヒーが付いて1000円だった。ライ麦パンは柔らかく、サンドイッチにはぴったりとあった。香代が囓ったタマゴサンドの間からタマゴがはみ出した。ライ麦パンも柔らかいが、マヨネーズで和えたタマゴの食感も負けないくらい柔らかく、パンと具に調和が取れていた。
「パンが柔らかくて、タマゴが美味しい」
香代は調和のとれたサンドイッチに感心した。山崎がビーフのサンドを囓ると、完熟トマトの柔らかい汁にマヨネーズが絡んだのが舌に絡み、その後にビーフの肉汁が流れてきた。
「完熟トマトの甘みが、口いっぱいに広がってきて、その後のビーフの肉汁も美味しい」
「私もビーフの方、食べてみよ」
口にタマゴを付けながら、ビーフのサンドを頬張った。
「こっちも美味しいね」
サラダはレタスの上にサーモンとレモンのスライスが載っていて、サウザンアイランドがかけられていた。
「レタスがパリパリ」
「サーモンとレモンとサウザンアイランドの組み合わせが美味しい」
香代はニコニコしながら言った。
「山崎君が留学した後も、私ひとりで、また来るよ」
香代はニコニコしながら言った。
「ずるいな」
「だったら、留学やめれば」
香代は皮肉めいた笑顔で言った。それにつられて山崎は笑った。香代は笑っていたが、山崎の事を本気で好きになっていて、それを隠す為に、明るく演じたのだ。
「時間がゆったり流れていて、もう動きたくないな」
香代は少し悲しい表情で、外を眺めていた。コーヒーを静かにすすりながら、ゆっくりと時間が流れていた。2人の間に言葉数は減っていった。
2人は来た道を帰り、メリケンパークに戻った。2人の間には言葉は無くなり、悲しみと、静かなムードが流れていた。中突堤は西に続き、そこを通ればハーバーランドとなっている。2人はハーバーランドに向かい、ゆっくり歩いていると、
「間もなく出航します」
と言う声が聞こた。さっきポートタワーから見えた遊覧船が出航しようとしていた。
「乗ってみようか」
山崎が香代の顔を覗き込み言うと、
「うん」
香代は笑顔で答えた。この辺りからは沢山のクルーズ船が出ている。香代は船に乗り込むと、笑顔に変わっていた。クルーズ船に乗り込んだことで、少しの気分転換が計れたのだ。椅子に座ると、山崎の腕を組み、頭を山崎の肩にもたれさせ、窓から外を眺めていた。ハーバーランドが低い角度から見え、新鮮みを感じた。
「綺麗」
そう思いながらも言葉には出さなった。離れたくないと言う気持ちから、たえず腕を組み、頭をもたれさせていた。でも笑顔にも、何か陰りが出ている。神戸港、神戸空港などを周遊すると、船は戻ってきた。どんな時でも明るかった香代が、悲しみを帯びていることを山崎は感じていた。香代は船を下り、桟橋を歩くときも、山崎の腕を放さなかった。
「楽しかったね」
わざと明るく振る舞った。それが山崎に取っては悲しく感じられた。
クルーズ船を下りると、2人は手を繋いで香代は楽しそうにしていた。
「どこかお茶でも行こ?」
そう香代が声をかけた。山崎は鞄から「神戸の美味しいカフェの本」を取り出し、近くのベンチに腰を掛け、本をペラペラ捲った。目の前は海。海からの風が香代の黒のロングコートと紺のスカートをなびかせた。山崎は黒の革ジャンとマフラーが飛ばないように、しっかり抑えた。
「あ、これ。この前、いいなと思っていた店」
店の名前は「カフェ・ド・ドルチェ」、ハリウッド映画に出てくるような外観で、フランスの宮殿を思わせる内装のカフェだった。カフェなのに2000円以下の商品が無い。
「これはちょっと高いよ」
山崎は渋った。
「最後のお願い。お金は私が払うから。これを最後の思い出にしたいから」
そう言うと山崎の手を両手でしっかり握り、潤んだ目で山崎を見ていた。
「じゃー、行こうか」
山崎がそう言うと、
「やったー」
香代は心の底から喜んだ。
「山崎君、大好き」
そう言うと、べったりくっついて歩いた。
その店は、旧居留地にあった。間口は8m。明治に建てられたビルの1階を改装してカフェにしている。幅1.5mの大きな扉があり、壁も扉も大きなガラスがはめられ、その縁は光沢感のある木で出来ている。光沢感ある木はライトアップされ、窓を通して見える室内の照明とで、ハリウッド映画に出てくるワンシーンのように豪華で美しかった。店の前にぴかぴかに輝いたリムジンが停まっていても、おかしくない感じだ。旧居留地の威厳ある建物の中に、この店は溶け込むように、違和感なく建っていた。山崎は香代の肩を組み、香代をエスコートするように中に入った。
中に入ると更に驚かされた。まるでフランスの宮殿を思わせる豪華さだ。天井は真っ白で、いくつもの楕円形のスペースに絵が描かれ、その絵と絵の間にはいくつもの模様が彫り込まれている。更に豪華なシャンデリアが吊り下げられていて、シャンデリア13個のトータルは1億円だ。大きな窓にはカーテンが掛けれれていて、その窓と窓の間には模様が彫り込まれている。テーブルには真っ白なテーブルクロスが掛けられ、クッション性のいい豪華な椅子が並べられている。壁はクリーム色で、床は乳白色のタイルが敷かれていた。一番奥の壁には、嘶いている馬に乗ったナポレオンの肖像画が飾られている。
店の名前の「カフェ・ド・ドルチェ」の「ドルチェ」は音楽用語で柔和に、甘美に、優しくと言う意味だが、それが店のイメージにぴったり合っていた。「ドルチェ」にはイタリア料理のデザートやケーキや甘口ワインなどいろいろな意味に使われる。2人はあまりの豪華さに、緊張しながらも、ギャルソンに案内された席に着いた。メニューを見ながら、その金額の高さにも驚いた。
「お金、大丈夫?」
山崎は心配そうに香代に言った。
「2度とこういう店は、これないかも知れないので、今日は思いっきりいい物を頼みましょ」
香代は山崎との最後のいい思い出を残したかったのだ。しかし山崎は緊張して、なかなか決められずにいた。それを察して、香代が言った。
「私、オペラとカフェロワイヤルにする。山崎君も、同じでいい?」
「じゃー、僕もそれにする」
山崎はメニューを閉じ、言われるままに香代に合わせた。その後も、そわそわして落ちつかない。山崎の心は「ドルチェ」の柔和に、甘美に、優しくとは正反対だった。
何も知らない山崎は、ギャルソンが持って来た、オペラとカフェロワイヤルに驚いた。オペラはアーモンドパウダーを入れたビスキュイという生地に、コーヒー風味のバタークリームとガナッシュを交互に重ね、更に表面は滑らかチョコレートでコーティングしている。一番驚いたのは、オペラの表面には、薄い金箔が張られていた事だ。
見るからに高級そうなコーヒーカップに入れられたコーヒーの中身は見た感じ、普通のコーヒーと違いはない。しかし厳選した豆を使ったヨーロピアンブレンドのエスプレッソだ。高級なコーヒーカップの横にはスプーンが添えられ、スプーンの先には角砂糖が載せられていた。これから見せるギャルソンのパフォーマンスに山崎も香代も驚いた。そのスプーンをコーヒーカップの上に渡し、その角砂糖にギャルソンが火を付けると、砂糖は青い炎を上げた。
「何で火がつくんですか?」
香代はビックリして聞いた。
「角砂糖をブランデーに漬けてるんです」
「あー、それで火がつくんだ」
山崎は感心した。暫くすると炎は沈下した。
「砂糖は、コーヒーに溶かしてお召し上がり下さい」
「店も豪華だけど、スイーツやコーヒーまで豪華だね」
「このコーヒーカップも凄く高そうよ」
「ほんと時代もんじゃない」
「割ったら弁償できないよ」
香代のその言葉に山崎は笑った。
「この店に来る、常連ってどんな人なんだろう?」
山崎はコーヒーをすすりながら言った。
「やっぱりセレブでしょ」
店内を見渡すと、おばさんずれのお客の中に、3人の若い女の子が座っている姿が見えた。気品ある服装で、高級な時計に、高級なヒールを履き、髪の毛はカールさせていた。
「あの子らはお嬢さんなんだろうな?」
「たぶん医者の娘じゃない?」
「僕もアメリカから帰ってきたら、きっとああなってるよ」
「ほんとうに〜」
香代は笑いながら言ったが、その言葉が嬉しかった。
「もしアメリカから帰ってきて、僕がお金持ちになって、香代さんがまだ空いていたら、こんな店毎日連れてきてあげるよ」
そう言うと香代は可愛い2本の前歯を見せて、笑った。
「期待せずに、待ってるよ!」
実現するか判らないが、山崎のその言葉が嬉しかった。2人が店を出るときは、手を繋いでルンルン気分になれた。外に出ると、すっかり日も暮れ6時になっていた。
入り口の前にはアジア風の象の置物が置かれていてる。竹の扉を開けると、入り口付近には壺が置いてあり、壺の中にはたっぷりの水が入っていて、その上にハスの花が浮かべられていた。店内は薄暗く、すだれなどアジアンテイストで溢れていた。店内は個室になっていて、小さな小部屋が通路の両側に並び、それぞれ4人席が主体で、奥には10人が座れる部屋もある。個室は黒く塗られて、テーブル、椅子はベトナムから取り寄せたものだ。通路の真ん中には竹の衝立が置かれていて、周りの人からは見えないように目隠しになり、個室の雰囲気を味わえると共に、入り口と衝立の間には隙間があるので、ウエイトレスは簡単に入ってこれる。2人は空いてある、手前の部屋に入った。入った店はベトナム料理の「ニュー・サイゴン」だ。
前菜にミル貝、生春巻きが出された。
「この貝、美味しい」
生春巻きはキュウリ、人参、肉などを細く切り、エビ、大葉、ニラなどと一緒にライスペーパーで巻いている。ライスペーパーの表面は透けいるので、エビが透けて見え、ニラがしっぽのようにライスペーパーからはみ出しているのが綺麗。噛むと歯ごたえのある厚みで、あっさりしていて、日本人には結構あう味だ。
「生春巻きいつか食べたいと思っていたけど、おいしい」
「このたれも結構、おいしい」
たれは甘味噌だれと、ピーナツだれと、ニョクマムから作った3種類のたれで、どれにも唐辛子は混ぜて居る。次に来たのはフォーだ。鶏ガラを5時間煮込んだスープに、ビーフンが入っている。表面には鶏肉とパクチーがタップリ載せられていた。
「このスープおいしいよ」
「鶏の濃いい味がする」
「この上に浮いているハーブ見たいのも、味を引き立てている感じがする」
「これはパクチーって言うんだ」
次に来たのが、ベトナム風のお好み焼き。
「日本のお好み焼きに比べたら、薄いね」
「薄い分、少し油っこい感じがする」
中には桜エビ、もやし、レタスなどが入っている。最後に出されたのはベトナム風のアイスコーヒーだ。練乳とコーヒーが入れてあり、グラスは練乳の白とコーヒーの黒の2層のグラデーションになっている。それを混ぜて飲んだ。
「変わったコーヒーね」
「あま〜い」
「でも、美味しい」
「これから、どうする?」
香代は寂しそうに聞いた。
「帰らないの?」
「何か、帰りたくない」
香代は悲しそうな顔をしていた。暫くの沈黙の後、山崎は静かに言った。
「少しだけ飲みに行こうか?」
たまたま入った店の雰囲気はよかった。店内は昭和の日本を感じさせる作りになっている。入り口には、昔のダイヤル式のテレビに、昔懐かしい看板、駄菓子が置かれていた。部屋は個室になっていて、格子状の扉を開けると、2畳で狭いが、密着するのにはちょうどよかった。そして部屋の真ん中にはこたつがあった。2人はこたつに足を突っ込み、くつろいだ。
「なつかしいな〜」
カクテルとおつまみを適当に頼んだ。
「こんなくつろげるなら泊まりたいよ」
「それは無理だよ。この店2時までだから」
そう言うと笑った。香代はボーイが持ってきたカクテルを一気に飲み干した。
「おい、大丈夫か?お酒弱いんだろ」
「何か飲みやすくて、一気に飲めたよ」
そう言う香代の顔は真っ赤だった。そう言いながら、こたつの上にある呼び鈴を押して、またカクテルを注文した。
「大丈夫?」
山崎は心配そうに言っている。
「大丈夫だよ。心配しすぎ」
カクテルがくるまでの間チーズを食べた。
「チーズ食べると悪酔いしないんだよ」
「そうなの?」
そして持ってきてくれたカクテルをまた一気に飲み干した。
「このカクテル、美味しいよ」
山崎が制止するのも聞かずに、またカクテルを注文し、一気に飲み干した。
「もう、やめろ」
とうとう山崎は本気で怒った。その瞬間、香代の目からは一筋の涙が流れた。
「だって山崎君、アメリカに行くんでしょ」
そう言うと、山崎も悲しくなり言い返せなくなった。
「私、本気で山崎君の事、好きになったのよ」
泣きながら言った。そして何も言い返せない山崎に対して、香代は饒舌(じょうぜつ)になった。
「もう本当に、離れたくない。私、本当に好きなの。こんな気持ちになったのは初めてなの。山崎君と知り合って、1週間くらいだけど、本当にこの1週間は楽しかった」
明るかった性格は微塵も感じさせられない。涙を流しながら喋った。
「私を置いて、アメリカに行かないで」
そう言って号泣すると、山崎の膝に顔を埋め、そのまま眠ってしまった。
そして時間だけが過ぎていった。
「もう帰ろうか」
香代が眠って30分が過ぎていた。立ち上がる山崎に、香代はキョトンとした目で起きあがる。どうして、ここにいるのか、今何しているのかが思い出せない。自分が酔って寝てしまっていたことに気づくのに、時間がかかった。山崎が会計を済まして歩くが、香代はふらふらになっている。しょうがないので山崎は香代をおぶった。
香代をおんぶすると、またすぐに眠ってしまった。山崎の背中に香代は顔を埋めて眠っている。気持ちよさそうに寝息を立てて、優しい顔で眠っていた。
「いい夢見てるんだろうな」
香代の体は軽く感じた。香代の柔らかい感触を背中で感じ、優しい気持ちになれた。三ノ宮駅に近づくに連れ、人も増え、人の視線を感じながらも、気にすることなく歩いた。三ノ宮駅の高架下を潜り、北野坂に差し掛かった頃、さすがに重くなってきた。そんな事にも気づかないくらい香代は、幸せそうな笑顔で眠っていた。
「まだ、ここの坂を上らないと行けないのか。でも後10分ぐらいだから頑張ろう」
自分に励ましながら、坂を上った。夜の12時前だと言うのに、まだ人も沢山いるので、通り過ぎる人はみんな山崎を見ていく。
「明日は大晦日だな」
ふと思い出された。北野坂を右に曲がると、今までとは、うって変わって人は少なくなり、暗くて静かだった。香代の家の前の路地に入ると人の気配は全くなくなくなった。
香代の鞄から玄関の鍵を取り出し、玄関を開けると、山崎は玄関で潰れるように倒れた。香代をおぶって30分も歩いたので、流石に疲れてしまった。酔いつぶれた香代は全く起きる気配がない。寒くなってきたので、香代を玄関に置いたまま、エアコンと照明を付けた。そして布団を引くと、玄関で倒れた香代をお姫様抱っこした。山崎は軽々と抱きかかえ、香代は酔いつぶれ、目を覚ますことなく、首と手と足は力が抜けた状態でだらりとしていた。そのまま布団に寝かせた。コートと、ニット帽、白のニットのマフラー、白のニットの手袋は外した。
香代の顔にかかった髪をかき分けると、優しい寝顔が現れた。
「かわいいな〜」
山崎は思わず、口をついて出た。暫く優しそうな寝顔をジーと見ていた。そしてキスをした。30秒ほどキスをした後、息が苦しくなったのでやめ、またすぐにキスをした。香代は起きることはいっさいなく、幸せそうな表情を浮かべていた。山崎はまた来た道を帰る気にはなれなかったので、同じ布団に入り香代の横で寝た。
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14へつづく |
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