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16

 

 クリスマス・イブの日に続いて、クリスマスの日も雪が降っていた。神戸でこんなに雪が降ることは珍しかった。いつも行く喫茶店の窓からも雪が降っているのが見える。地面にも少し雪が積もり、それが溶け、一部氷になっていた部分もあった。

 武はかおりに言われた約束の6時半に、いつもの喫茶店で待っているが、かおりは来ない。先ほどから何度も時計を見、もうすでに5分過ぎていた。しかし来る気配はない。かおりからの誘いで来たのに、かおりは来ないのだ。

「どうしたんやろ?」

 この日、かおりは仕事が少し遅くなり、会社を6時半に出た。この時、既に日は沈んでいた。武が待っているだろうと、いつもの喫茶店に走って向かった。弟に会える喜びなのか、恋人に会える喜びなのか、それとも両方なのか。どちらも入り交じった気持ちだった。

 いつか恋人とクリスマスの日を過ごすかも知れないと思い、真っ赤なコートを買い、紺のスーツの上に来ていた。会社を出た所は車も人も多いので、人をかき分けながら走った。周りの店のクリスマスの飾り付けが目に入り、イルミネーションが綺麗だった。店から流れてくるクリスマスソングも軽快だった。

「早く、会いたい。早く、行かないと」

 気持ちは焦っていた。

「やっと弟に会える。今までこの日を、どれだけ待っていたか。とうとう弟に会える」

 そう思うと、心は浮き足立っていた。山手に向かうにつれ、人もまばらになり、片側2車線あった道も、車がやっと1台通れる位の道幅になり、そこに喫茶店はあった。

「あと、もう少しで会える」

 かおりは嬉しくてたまらなかった。そして遠くの方に、いつもの喫茶店が見えた。喫茶店の前はクリスマスツリーがあり、そのツリーや店の周りにイルミネーションが施され、心は飛び跳ねんばかりに喜んでいた。

「この道を渡れば、もう少しだ」

 心は喜びに溢れ、天にも昇る気持ちで、道を渡った。そのとき、暗闇に、眩しいくらいの車のヘッドライトが目に入った。

 「キー。ドン」

 車の急ブレーキの音の後、かおりは車の前で何回転もしながら、雪の上に俯せて倒れた。途絶える意識の中で、顔を上げると、喫茶店のクリスマスのイルミネーションが目に入り、近くの店からジングルベルの音楽が流れ出した。

 世間の幸せな意識とは裏腹に、かおりの意識が遠のいていった。

 「武」

 まるで鶴の一声のように無意識に武の名前を叫んでいた。そして、意識を失った。

 

 喫茶店では、武は「遅いな」と思いながら待っていた。時計の針は6時50分を差していた。

 そのとき武の脳裏に何か嫌な予感がした。かおりが武を呼ぶ声がしたのだ。かおりが倒れた所から店までは50m程離れていて、喫茶店の中にいる武には聞こえるはずはなかった。しかし武には、虫の知らせと言うものが聞こえたのだ。

 何か聞こえたと思った武は、焦った表情で、玄関の方を見、そして周りをキョロキョロした。

「今、かおりの声が聞こえたはずなのに」

 周りを見たが、かおりの姿は見えなかった。

「気のせいだったのか?」

 腑に落ちない顔をしながらも、納得せざる終えなかった。

 

 周りのまばらだった人が、かおりの周りに集まりだした。かおりをひいたドライバーは真っ青な顔をしながら、車から降りてきた。男の名前は松本健一だ。野次馬は少しずつ増えだし、松本が車を降りると、野次馬が一斉に松本を見た。

「この女が急に飛び出してきたんや。俺は悪くないんや」

 言い訳したくなかったが、言い訳せざる終えない雰囲気になった。雪は激しくなり、野次馬や松本、かおりの上にも降っていた。日も沈み暗くなっている中、軒先のイルミネーションが雪とかおりを照らしていた。

 かおりはぴくりとも動かない。真っ赤なコートにみんなの視線が注がれ、そしてかおりの周りの雪が赤く染まりだした。

 時間が経つに連れ、野次馬は更に増えた。

「どうしたのかな?」

 新しく来た野次馬が口々に喋っていた。「きっとデートの約束をしてたのよ」

 真っ赤なコートを見た女の子が言った。クリスマス時期とあって、周りはカップル達の野次馬が多かった。

「可愛そうね。彼氏は知ってるのかな?」

 野次馬の輪が広がり、ざわついている中に、救急車が来た。そして隊員が手際よくかおりを車に乗せた。救急車がけたたましいサイレントと共に、野次馬の元から離れていくと、辺りは急に静まりかえった。そして野次馬も辺りから徐々に離れていった。

 

 武の腕時計は7時半を差していた。

「遅いな。どうしたのかな?」

 そう思ったとき、店の玄関が開いて人が入ってきたので、武は顔を上げた。しかしカップルなのでがっかりしたが、さっきからドアが開く度に顔を上げて、かおりかどうか確認していたのだ。そのカップルは武の近くの席に案内されて座った。

「さっきの女の子、動かなかったけど死んだのかな?」

 女は心配そうに男に話しかけた。

「俺には判らんで。でもこんなクリスマスの日に事故を起こすなんて可愛そうにな」

 その話を横で聞いた武は、ドキッとして顔を上げた。

「まさか、かおりじゃないやろな?」

 

 孝治と幸子は慌てて、病院の受けつけに行った。病院内は薄暗い蛍光灯がともり、患者は誰もいず、静まりかえっていた。

「仲間かおりの親ですが、事故で担ぎ込まれたと聞いたんですが」

「只今手術が始まりましたので、手術室の前でお待ち下さい」

 看護婦が答えてくれた。

「手術?!」

 幸子はその言葉にビックリした。

「一体何があったんですか?」

 孝治は予想もしなかった事態に動転していた。

「車にひかれたようです。こちらへどうぞ」

 看護婦の後を孝治と幸子が付いていった。

 手術室の前まで来ると、松本健一が頭をもたげて座っていたのが目に入った。孝治と幸子が近づくと、男は立ち上がり頭を下げた。そのとき孝治は、突進するかのように松本の胸ぐらを掴んでいた。

「お前か?家の娘をひいたのは?」

「すいません」

 男は謝るしかなかった。

「娘が死んだらどうするんや」

「すいません」

 男は涙を流しながら謝った。ここではいい訳はしたくないと思っていたので、素直に謝った。

「あなた。ちょっと落ち着いてよ。まだ死んだ訳じゃないんだから」

 

 武は喫茶店で1人寂しくポツンと座っていた。時計を見ると8時半を過ぎ、周りの客はまばらになっていた。意を決してかおりの家に電話することにした。かおりが本当の姉だと判ってからは、家に電話するのが怖かったが、しかし事故があったと言う話しもあるし心配で、店の公衆電話から電話をかけることにした。

 公衆電話に10円を入れると、緊張する指でゆっくりダイヤルを回した。呼び出し音が鳴るたびに、胸の鼓動は早くなっていた。

「親が出たら、どうしよう。どう対応しよう」

 そればかりが頭を占め、胸は更に高鳴った。1分呼び出し音を鳴らしたが、誰もでなかった。出るはずもなかった。みんな病院にいたのだから。諦めて電話をきった。

 武は店を出ると、車を走らせていた。

「もしかしたら僕は見捨てられたのかも知れない。弟だと判ったから逃げたのかも知れない。知れたのが迷惑だったのやろう。もともとよその家に養子に出された身やし、知らない方が良かったのかも知れへん。諦めた方がいいのかも知れへん」

 信号の赤、前の車の赤いテールランプを見ていると悲しくなってきた。世間はクリスマスというのに、姉と会え、本当の両親にも会え、最高のクリスマスを期待していたのに、急に1人で過ごさなければならなくなり、そのギャップから寂しくなってきた。

 車を走らせていると、暗がりの中、歩道に公衆電話があるのが見えた。

「最後に一回だけかけてみよう。それでダメなら、もう終わりにしよう」

 車を停めると、公衆電話に駆けだした。悲しみを抱えている武の背中は丸くなっていた。雪はやむことを知らない。電話をかけている、武の丸まった背中に雪が載っては、弾けた。

 

 手術室の前で待っていると、0時頃手術中のランプが消えた。それを見た、両親と松本は立ち上がった。

 手術室の扉が開くと、主治医は神妙な顔で両親の元に近づいた。

「肋骨が少しと、足の骨を折っていましたが、手術は無事成功しました」

 それを聞いた両親はほっと胸をなで下ろした。一番ホッとしたのは松本健一かもしれない。

「ありがとうございます」

「今は麻酔で眠っていますが、明日中には目が覚ますはずです」

 

 その頃、武はベットの上で悩んでいた。

「こんな事になるなら、お姉ちゃんだと知らない方が良かった」

「おねーちゃん」

 会えなかった悔しさのあまり、大声で叫んだ。本当の両親、かおりに見捨てられた事を考え、目には涙が溜まっていた。大声を出しても、家が広いので周りには聞こえなかった。

「もう、これで一生会えないんだやろうか?諦めた方がいいやろうか?」

 

 孝治と幸子は、眠っているかおりのベットの横で一晩中座っていた。そのためあまり寝ていない。かおりの腕には点滴の針が刺さっていて、朝方眠さも限界に達した孝治と幸子はうつらうつらし出した。しかしかおりは目が覚める気配はない。日が昇るに連れ、2人は本格的に眠りについた。

 12月26日昼頃、かおりは目を覚ました。目を覚ましたかおりは、まだはっきりしないおぼろげな目で辺りを伺い、不思議そうに周りを見ていた。

「あ、目を覚ましたわ。よかった」

 母は直ぐに気づき、嬉しそうに言った。その言葉で父も目を覚ました。しかしかおりは妙な事を言ったので、両親は驚いた。

「武は?」

 両親は驚いた表情で、お互い目を合わせた。

「何言ってるの。武は子供の時に養子に出したのよ」

「違うの武と会う約束してたのよ」

 かおりは涙を溜めていた。起きるなり武の事を心配すると言うことは、よっぽど気になっていたのだ。25日の夜、武がどうなったのか心配になってきた。

 かおりが起きあがろうとすると、母は起きあがるのをとめた。

「大丈夫?あなた会社の帰りに交通事故に遭ったのよ。先生は何もおっしゃらなかったけど、そのときに頭打ったの?」

 母は心配そうにかおりの顔をのぞき込み、いろんな事を聞いていたが、かおりの耳には入ってこなかった。そして1人で天井を見上げ、25日の記憶を呼び戻していた。

「そうだ思い出した。あのとき喫茶店の手前まで言ったんだ」

 昨日の雪とクリスマスのイルミネーションで飾られた喫茶店が脳裏にありありと蘇った。そして眩しいくらいのヘッドライトの光が、脳裏を占領した。

「すぐそばまで行っていたんだ。あと、もう少しで会えていたのに。なんでこんな事に」

 心の中で呟いた。仰向けに寝ているかおりの目から悔し涙が流れ落ちた。

「武」

 かおりは悔しさで叫んでいた。

 

 もうすぐ大晦日なのに、かおりは病院のベットの上で寝たままで、手には点滴の針が刺さったままだ。ベットの傍らには、母が座っていた。「弟ともう少しの所で会えたのに」と思うと、無念でしかたがない。「今、弟はどうしてるのかな?」24時間、そのことが心を占領していた。

「私、いつになったら退院できるの?」

 かおりはボソッと母に聞いた。

「後、1ヶ月くらいは、このままみたいよ」

「後、1ヶ月もこのまま?!」

 かおりは寂しくなってきた。そして武の事が心配になってきた。

「あなたが悪いのよ。運転手さんの話では、急に飛び出したって言ってたわよ」

 そう言われと、またあの時の光景が脳裏に蘇った。暗闇の中の、雪の景色と、喫茶店のイルミネーションだ。

「暫くは安静にしとかないと、一生歩けなくなるわよ」

 自分の不便な体を思うと悲しくなってきた。

 

 夜の病室は物静かで、窓から月明かりだけが見え、その青い光が病室に差し込んでいた。1人で月を見ていると、何か物悲しい気持ちになってくる。

「後1ヶ月もこのまま。その間、弟とは連絡を取れない。弟は心配してくれているかな?このまま一生会えなくなるのかな?」

「いっそ死んでしまった方が楽だったかも知れない」

「何か急に死にたくなってきた。もしそこの窓から飛び降りたら、死ねるかな?」

「でもこの不自由な体では、動く事すら出来ない。死ぬことすら出来ない」

 そう思うと悲しくなり、涙が溢れていた。

「弟に会いたい」

 心の底から呟いていた。

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17へつづく