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12

 

「昨日すごかったね。かおりも何かチャンス出てきたんじゃないの?」

 この日の夕方、かおりとめぐみは給湯室で社員の湯飲みを洗いながら喋っていた。

「そんな事無いよ」

「でも電話番号渡されたんでしょ。かけてみた?」

「かけるわけないでしょ」

「どうしてよ?」

「もうあんな人とは関わりたくないのよ」

「何言ってるのもったいない。私がかけてあげるわ」


「いいよ」

「遠慮しないで。もし2人が結ばれたら、私にも何かプレゼント頂戴よ。だって私がフランス料理招待したから、出会えたんだから」

「何、本気で考えてるのよ。相手は、相当な金持ちよ。庶民の私を本気に相手するわけ無いでしょ」

「でも、それが実際に起こっているんだから」

「あの人は私を遊びの道具にしか考えてないのよ」

「どうしてよ!」

 めぐみは怒った。

「だって傷ついて、泣くのが嫌なのよ。私はお見合い結婚で充分。私は弟と会うまでは夢を持っては行けないのよ」

「夢くらい持ったっていいじゃない。泣いても、傷ついてもいいじゃない。その分の見返りは十分あるよ」

「なんで、そんなに勧めるの」

「私はかおりに幸せになって欲しいのよ。かおりに夢を見て欲しいのよ。そして私も一緒に夢を共有したいのよ。少しくらい夢を共有させてよ。いいでしょ?今生きていても楽しいことなど無いし、私の為にも少しくらいの夢を見させてよ。ねー、お願い」

「うん。めぐみは、おこぼれを期待してるんでしょ?」

 かおりはめぐみに押し切られた感じで、渋々返事をした。

「でも私が振られたら、ちゃんと慰めてよ」

「判った。でも唯で振られたらダメだよ。振られたときは、ちゃんと慰謝料もらわないとね」

 そう言うと2人は笑った。

 夕方6時に仕事が終わると、2人は近くの公衆電話を探した。

「あー、あった電話」

 会社前は広い歩道になっていて、片側一車線の道路が走っていた。その道路前に電話ボックスがあり、その中に2人は入った。

「本当にかけるの?」

「当たり前よ。いい結果か、悪い結果か見極める前に諦めるの?」

 かおりは黙ってすねていた。

「電話番号のメモ貸して」

 めぐみが受話器を取ると、かおりに焦らし、消極的なかおりの変わりにダイヤルをした。

「あ、突然すいません。財前さんのお宅ですか?」

「はいそうですが」

 電話にはメイドが出た。落ち着いた口調の返事が返って来た。

「仲間と申しますが、武さんいらっしゃいますか?」

「少々お待ち下さい」

 めぐみは安堵のため息を吐き、かおりの方を見た。

「とうとう武さんが出るのよ」

 めぐみは嬉しそうにかおりに言った。しかし財前家は広いので、電話口に出るまでには少し時間がかかっているみたい。

「遅いね。いないのかしら」

「多分、家が大きくて探してるんでしょ」

 その間も10円を入れながら、2人はなかなか武が出ないことに焦っていた。

「早くしないと10円なくなってしまう」

「はい」

 そのとき受話器の先から武の声が聞こえた。

「あ、すいません。かおりと変わりますので、チョッ止まって下さい」

「もしもし」

 かおりは恐る恐る答えた。

「あ、かけてくれたんですね。待っていたんです。でも本当にかけてくれるか心配してたんです」

 そしてかおりは沈黙してしまった。めぐみに無理矢理電話させられたので、何を話していいのか判らなかったのだ。

「もし、よければ今度お茶でもどうですか?」

「いや、でも?」

「お金は全部持ちますので心配しないで下さい」

 かおりはお金の事を心配していたわけではなかった。気が進まなかったのだ。

「明日なんかどうですか?明日の今頃なんか、時間空いてますか?」

「・・」

「何か用事でもあるんですか?」

「いえ用事は無いですが」

「じゃ明日の今頃」

「はい」

 かおりは渋々返事をすると、武は電話を切った。

 

 5mはある天井の上でシャンデリアが吊り下げられていた。柱、壁、階段の手すり全ては漆喰塗りが施され、床には高級なペルシャ絨毯がひかれ、明治時代に建てられた銀行のような建物で、威厳と風格を兼ね備えていた。

 テーブルは丸くどっしりしていて、椅子はゆったりしている。テーブル、椅子、絵、置物などの調度品は、すべて高級感溢れる物だった。

 中で座っているお客さんも、服装から、みんな金持ちだというのが察しが付く。

 出てくるコーヒーカップ、食器にも高級感があった。コーヒーは厳選された豆を使い、ケーキは厳選した小麦粉から作られていた。この時代に、金持ちだけが集う高級感溢れる喫茶店があったのだ。

 そこに武とかおりが座っていた。武はスーツをビシッと決めていたが、かおりはカジュアルな地味な恰好だった。かおりは場違いな所に自分が居ることに、顔から火が噴きそうなくらい恥ずかしかった。武は落ち着いた感じで椅子の背もたれに座り、19歳だというのに大人びて見えた。

「私には、こんな所、似合いません」

「そんな事無いですよ?綺麗ですよ」

 しかしかおりは素直に喜べなかった。こんな上辺だけの言葉を信用する訳にはいかなかったのだ。そしてかおりは気分を悪くしてしまい黙りこみ、出されたコーヒーを一口飲んだ。

「美味しい」

 顔がほころびかけたが、このまま表情に出すと、武の思うつぼ。そう思われたくないので、興味ないふりをした。暫くの沈黙の後、かおりは思い切って、自分の疑問を武にぶつけてみた。

「何で私を誘ったんですか?私は見ての通り貧乏人。お金持ちの人の方が綺麗な人一杯いるのに、どうして庶民の私を誘うんですか?」

「貴方といると何かホッとするです」

 武は、ゆっくりした口調で、穏やかに言った。かおりは、その言葉に何も言えなくなってしまった。

 また沈黙が続いた。かおりが武に興味を持ってないので、話しが弾まなかった。それを打ち消すように、武は話しかけた。

「あ、まだ名前聞いてなかったですね。僕も教えたので、貴方も教えて下さい」

 かおりは、あまり教えたくはなかったが、拒む理由が浮かばなかったので言った。

「仲間かおりです」

「へー、可愛い名前ですね」

 その後、また沈黙が続いた。

「もし、かおりさんがよければ、明日も会ってくれませんか?」

 そう言うと武は微笑んだ。

 

 かおりは夜1人で銭湯に行き、お湯の中に浸かっていると、今日会った武の事がふと思い出されてきた。

「あの人、私と居るとホッとすると言ったけど、本当は何が目的何だろう。どうして私のような人を選んだのかしら」

「お金が目的なわけないよね。お金なら沢山持っているはずだし、私からお金を取ろうとしても有るはず無いし」

「もしあの人が言っていることが本当だとして、この先、仮につき合う事が出来たとして・・」

 そこまで考えて、自分の考えを自分で否定した。

「そんな分けない。金持ちが私のような貧乏人とつき合うはずがない。何考えてるの」

「もしつき合ったとして、もしもよ」

 そう何度も自分に前置きを置いて、

「もしつき合ったとしても、すぐに捨てられる。結局、私にいいことなど何もない。明日は会うのはやめよう。その方が傷つかずにすむわ」

 銭湯から出ると駆け足で家に向かった。少し肌寒かったのだ。

「星が綺麗」

 そう思うと急に寂しくなってきた。

「弟、どうしているのかな?まさか死んでないよね」

「さむー」

 急に寒くなってきたので、体をさすりながら、家の中に入った。それを母が聞いていた。

「大丈夫?銭湯行って、風邪ひくのは馬鹿だよ」

「急に寒くなってきて。こんな寒くなるなら、薄着で行かなければよかった」

「もう冬ね。早くこたつにでも入りなさい」

「は〜い」

 かおりは駆け足で部屋の中に入ると、こたつの中に潜り込んだ。

「あ〜、温まる」

 

 次の日、武は昨日と同じ時刻に、同じ時間、同じ席に座っていた。椅子の背もたれに体を預け、1人で静かにコーヒーをすすった。時計を見ると、7時だ。

「今日は残業かな?」

 そう思いながら、かおりを待っていた。

 そのときかおりは既に家に帰っていて、両親と食事をしていた。

「仕事は、もう慣れた?」

「う、うん」

「もう就職して半年になるからね」

「心配しないで。私は大丈夫だから」

「後は結婚ね。後5年もすると、貴方も結婚ね。お母さんもいい人探しとくから」

「まだ結婚の話しは早いよ」

「でも貴方が幸せになってくれないと、お母さんは死にきれないから」

「何言ってるの。人生まだこれからでしょ」

「お母さんも、もうすぐ50だし、もう先に希望は無いのよ」

「そんなこと言わないで。暗くなってくるから」

 母の言葉にかおりの気持ちは沈んでしまった。

 武の腕には豪華な腕時計が光っていた。既に針は9時半を指していた。

「これだけ待っても来ないのは変だ。俺、嫌われたのかな?」

 1人で小さくなっていた。この店に来て3時間になる。店員も横を通るたびに白い目で見ていた。そして厨房に戻ると、ウエイトレス2人が、うわさ話をしていた。

「あの人、ふられたのかね?、1人で時計ばかり見て」

 1人のウエイトレスが言うと、隣のウエイトレスは笑った。

「お金持ちでも振られるのね」

「でも、あんなお金持ちをふるってどんな人なんだろ?」

「そうね。可愛そうにね」

「変わりに私誘ってくれないかな?」

「誘うなら私よ」

 2人は笑った。

 

 いつもの黒塗りのロールスロイスに運転手をつけ、かおりの会社の前に車を停めていた。

「本当に彼女の会社、ここなのか?」

「はい、数日かけて調べたので間違いないです」

「よくやったな」

「ありがとうございます」

 武は運転手に問うた。腕時計の針が6時を指した頃、武は目を皿のようにして、会社の入り口を眺めていた。しかし、かおりらしい人は出てこない。

「出てくるの遅いなー」

「もう少ししたら出てくると思います」

「そうか。もし出てきたら、女を連れてきてくれ」

「かしこまりました」

 暫くするとかおりがめぐみと出てくるのが見えた。

「出てきたぞ」

 武は笑顔に変わった。

「それでは連れてきます」

 そう言うと、運転手はドアを開け、外へ出た。運転手はガッチリした体で、身長は180cmもあり、筋肉もあった。

 かおりとめぐみは楽しそうに話しながら歩いていた。そこへ運転手が近づいていったのだ。かおりが運転手に気づいたときには、かおりは男の腕に抱きかかえられ、かおりの顔色は恐怖に変わっていた。一瞬の出来事で、めぐみが止める暇もなく、車に向かっていた。

「何するんですか?やめて下さい」

 かおりは恐怖で引きつった表情で、必死に抵抗した。それを見ていた武の表情も引きつった。

「やりすぎちゃうか?あんな事頼んでないぞ」

 次の瞬間には、かおりを抱きかかえてた運転手はロールスロイスのドアの前に来ていた。

「おぼっちゃま、ドアを開けて下さい」

 その言葉に武は我に返り、ドキドキしながらドアを開けた。ドアを開けたときには、隣にはかおりが座っていた。すごい早業だった。かおりは武の顔を見ると、ホッとすると同時に怒りの表情に変わった。

「何するんですか?」

「いや、あの」

「拉致じゃないですか?警察に訴えますよ」

「君に会いたかっただけなんです。機嫌を直して下さい」

 武は穏やかな口調で言った。

 

 その後、武とかおりは、いつもの喫茶店に居た。かおりは少し怒っていて、コーヒーに手を付けなかった。

「先ほどはすいません」

「どうして私を誘うんですか?」

「・・貴方が好きなんです」

 かおりは想像していなかった言葉に、驚き、唾を飲んだ。

「貴方といるとホッとするんです」

 黙ってしまったかおりに、武はボソッと言った。

「でも私のような女とは身分が違います」

「江戸時代じゃないんですから。今の時代身分なんか無いですよ」

 武は笑った。笑ったかと思うと、直ぐにまじめな表情になった。

「かおりさんといると、何か懐かしさを感じるんです。お姉さんのような優しさ。小さい頃から一緒にいるような感じがするんです」

 その言葉にかおりは何も答えれなかった。

 黙っているかおりに武は更に言葉を繋いだ。

「今は金持ちやけど、小さい頃は何か貧乏だったような感じがするんです」

「どうしてですか?」

 その話しに、かおりは興味を持ち始めた。

「キッチンの床は石で出来ていてて、風呂に行かずに、流しで体を洗って貰っていたように気がするんです」

「武さんの家も、昔貧乏だったんですか?」

「でも父が言うには、家は昔から金持ちだったって言うし、子供の頃の記憶だから現実なのか、どうだかもハッキリしないし」

「私も小さい頃すごく貧乏で、家族みんなで夜逃げして、心中しようと考えたこともあるです」

「へー、苦労してきたんですね」

「僕の家は、お金持ちやけど、なぜか金持ちの生活には違和感があるんです」

 かおりは少し和んでいた。

 しかしこの後、武から驚くべき発言を聞くことになる。

「今度、パーティーがあるんですが、出席して貰えないですか?」

「パーティー・・・ですか?」

 かおりはパーティーに誘われたことに驚きを隠せなかった。パーティーに誘われるのも初めてだし、パーティーは金持ちがするものだと思っていた。自分には一生無縁のものだと思っていたのに、それに招待された事に驚いたのだ。それに着ていく服もないし、金持ちとどういう話しをしたらいいのかも判らない。いろんな不安が頭の中を駆けめぐっていた。

 黙っているかおりに武は更に驚くことを言った。

「もし僕とつき合ってくれるなら、服や靴、ネックレスに指輪、欲しいもの全てをプレゼントします」

 夢のような話しにかおりは驚きの表情を隠せず、潤んだ目で武を凝視した。

「パーティーに招待して貰い、付き合い、服まで買ってくれる」

 かおりは心の中で反復した。

「そんなこと、あり得ない話しだ。私とは無縁の話しだ。何か騙されている」

 かおりは潤んだ視線を外した。一瞬の夢の世界を心の中でもみ消した。

「私は今の生活で充分なんです。欲を出すと、きっと痛い目にあって、今の生活もダメになってしまいます」

「かおりさんって欲が無いんですね。そこがまた魅力なのかもしれません」

「普通です」

 この時代は、貧富の差はそれほどなく、日本人みんなが中流の生活をしていた時代だ。

 武はそれ以上、説得することが出来なかった。

「でもまた会ってくれますか?」

「私とこんなに会って仕事の方は大丈夫なんですか?」

「まだ学生なんです」

「大学行ってるんですか?」

「大学1年です」

「1年ですか?」

 かおりは、その言葉に驚いた。今まで年上だとばかり思っていたのに、年下だという事に驚かされた。もう仕事をしているかのように大人びていて、表情や仕草などからは優雅に気品が漂っている事に感心した。憧れも感じたが、次の瞬間悲しみに変わった。

「弟も同じくらいの年だったんです」

「弟いたんですか?」

 武のその言葉に泣き出した。

「でも弟は、子供の頃、私の元から姿を消したの」

 涙が止まらなくなった。

「どうしたんですか?大丈夫ですか?」

 武はかおりを慰めたが、かおりの涙は止まらなくなった。

「ごめんなさい。変なこと言って」

「いえ、私が悪いんです。急に泣き出してごめんなさい」

 

 かおりは夜、布団の中に潜り込むと、今日のことを思い出していた。

「あのお金持ちの人、弟と同じ年」

 そう考えると、弟の事が急に懐かしくなってきた。生きているのか、死んでいるのかさへ判らない。

「弟も金持ちの家に引き取られて居たら、どんなによかったか。でも弟は継母に虐められて、苦しんでいるはず。どうして、あの時もっと頑張って、弟を養子に出すことを阻止しなかったのか」

 そう考えると涙が出てきた。でも子供が大人の力に勝てるはずもない。いくらかおりが武を抱きかかえても、父の力には勝てるはずもなかったのだ。

 でもかおりは、今日会った武の事を好きになりかけている自分に気づき始めていた。

「あの人、弟と年も似ているし、私と居るとほっとすると言ってくれていたし、私もあの人と居ると何かホッとする」

「出来たら、また会って弟のように接したい。そしたら弟の事で悩む苦しみも少し和らぐかも知れない」

 そう考えると笑みが出てきた。何かいい夢が見れそうな気がしてきた。

 

 2人はいつもの喫茶店でお茶を飲んでいた。

「ちょっと弟さんの事、聞いてもいい?」

 武は沈黙を破り喋りかけ、かおりは戸惑いながらも、頭を縦に振った。

「弟さん、もう死んでしまったの?」

「死んではないけど、死んだも同然なの」

「どういう事?」

「私がまだ小さい頃、家が貧乏だったので養子に出したの」

 武は何て答えていいか判らず、

「辛い人生、送ったんだね」

 武は自分自身のことだとは露知らず、本気でかおりの弟のことを心配した。

「うん」

 そう言うと、また泣きそうになった。武は慌てて、言葉を繋いだ。

「でも、これからは安心して。僕がかおりさんを守るから。お金の面でも、心の面でも支えになるから」

 その言葉にかおりは安心した。子供の頃かおりはよく弟に、武は私が守るからと言っていた。それを男の人に初めて言われ、すごくホッとするような感覚を憶えた。何か弟にお礼を貰ったような感覚、包まれているような感覚を感じた。

 武自信は姉に守って貰っていたと言うのが記憶の片隅に残っていて、大人になった今は女性を守らないと行けないと言う気持ちに変わっていた。

「弟さんは、それから会ってないんですか?」

「あれから15年になるけど、一度も会ってないの」

「僕は、その弟のようにはなれないけど、恋人ならなれるから」

 そう言うと武はかおりに笑顔を見せた。それに、かおりは微笑み返した。

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13へつづく