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 大津から帰ってから1ヶ月が過ぎた。しかし暮らしは良くなるはずもない。時々やってくる借金取りが恐怖で、家族は身を寄せ合い、時間が過ぎるのをじっと待つしかなかった。

 だから夜は電気を付けることが出来なくなったが、大津で家族が誓ったように逃げることはやめることにした。しかしもう限界が近づいてきた。借金取りは昼もやってくるようになったのだ。そのことで客足は更に遠のき、近所でその噂が流れ始めたのだ。

 娘は、おでんに教科書を広げ勉強していた。家が狭いし、机も買ってやれないので、普段食事をするおでんが勉強机も兼ねていた。そこへ父が近づいてきて、話しかけた。

「かおり、お父さんの話を、よく聞いてくれる?」

 父は深刻そうに話を切り出した。

「あのね、武を養子に出そう思うんや」

「養子って何?」

 かおりはあどけない表情で質問した。

「子供が出来ない人がいて、その人が家の武を欲しいと言っとんや。だからその人に武を譲ろうと思うんや」

 それを聞いたかおりの表情は急変した。

「嫌、絶対、嫌」

 かおりは必死になって反発した。勉強をほっぽり出し、涙を流しながら、必死になって何度も何度も反発した。父はそれに対して何も言えなかった。かおりが涙を流しながら必死に訴えているのを見ると、父も悲しくなってきた。

「でももう限界なの。こうでもしないと、みんな死ぬしかないの」

 横にいた母が悲しそうに話しかけた。

「嫌、武を上げるなんて絶対嫌。私、貧乏な生活でも我慢するから、武を上げないで」

 娘は父に抱きついた。父と母は辛い顔を浮かべたが、娘の願いを叶えることは出来なかった。

「お父さんも、お母さんも養子に出すことは辛いことなの。でも武だけは幸せになって欲しいし」

 苦渋の決断だったが、そんなことかおりには分かるはずもなかった。

「私、もっともっと勉強頑張るから、だから弟を養子にやらないで。お手伝いもするし、いい子にもなるし、お小遣いも我慢するし、だから絶対絶対あげないで」

 必死に訴えるかおりに、父も母も返す言葉がなかった。かおりの辛さは、痛いほど分かっていたのだ。

 

 いくらかおりが抵抗しても、とうとう武を養子に出す日が来てしまった。

「私、絶対に武を人にあげないから」

 といい、武を抱き寄せ部屋の隅に身を寄せると、娘は父を睨んだ。それを見て、父は無理に武を取り上げることもできず、娘の気持ちを考えると悲しくなってきた。

「いい子だから言うこと聞きなさい」

 父は悲しみを抑えて怒った。

「私、絶対武を上げないから」

 かおりは父から目を離すことなく、更に武を抱き寄せ、部屋の隅にいった。父は娘に近づき、嫌がる娘の服の背中を持つと軽々と持ち上がった。

「あー、やめて、やめて」

 娘は足をばたばたさせた。しかしかおりがいくら足をばたばたさせた所で大した抵抗にはならなかった。そのまま押入まで連れて行かれ、押入の戸を閉めると、外からつっかえ棒をして戸が開かないようにした。

「出して、出して」

 中から激しく戸を叩く音と、必死に訴える声が聞こえた。次第に声も大きくなり、鳴き声になり、ドアを叩く音も激しくなってきた。父は、それを聞いて悲しくなってきたが、生きて行くには、これしか方法がなかったのだ。

「かおり、ごめん」

 心の中で呟きながら、目頭を押さえた。

「開けて、開けて」

 ますますドアを叩く音は激しくなっていった。かおりは目を腫らしながら、これ以上出せないくらいの大きな声で叫んだ。しかし父は武を抱くと、階段を下り、押入を叩く音を背中で受けながら、階段を降りていった。かおりの気持ちを思うと辛くなってきたが、これは仕方のないことだと自分に言い聞かせた。

「お父さんも辛いんや。辛いのはかおりだけじゃないんや。お父さんも同じで辛いんや。これしか方法がないんや。ごめん、かおりお前も大人になったら、お父さんの辛さを判ってくれると思う」

 そう自分に何度も何度も言い聞かせた。

 何も知らない武は父の腕の中で笑顔を見せた。屈託のない笑顔に、自分は何て悪い人間なんや。この罪を一生背負っていかないと行けないと感じた。その途端、父の目から涙があふれ出した。父はこのときの武の笑顔を一生忘れることが出来なかった。そして自分は罪人のような気持ちになり、一生十字架を背追って生きていこうと誓った。

 

 孝治と幸子が玄関の前で武を抱いて待っていると、1台の黒塗りの豪華なロールスロイスが、貧乏な家族の家の前に停まった。しかも運転手つきだった。仲間家には似ても似つかわしくない人が来たのだ。夫婦は、こんな金持ちが来るとは思ってもいなかったので、恐縮してしてしまった。

 後ろの席から奥さんらしい人が降りてきた。

「こんにちは。財前と言います」

 車から降りてきた奥さんは笑顔で丁寧に話しかけた。

「この子をよろしくお願いします。武と言います」

 父は頭を下げると、奥さんに武を渡した。

「ありがとうございます」

 奥さんの口からそう言う言葉が飛び出したので、余計に夫婦は緊張してしまった。

「神の悪戯と申しますか、私たちには不幸にも子供が授からなかったのです。こんな形ですが、お子さんを頂けるなんて、幸せです」

 奥さんは嬉しさのあまり泣き出した。

「これは少しばかりのお礼です」

 奥さんは、100万の束を風呂敷に包んで差し出した。

「いえ、これはいただけません」

 父は恐縮しきり、棒のように固くなった。

「主人からの少しばかりの感謝の気持ちですから、どうか受けとって下さい」

 すると後部座席のロールスロイスの窓が開き、奥から旦那が笑顔を見せた。それに2人も笑顔で答えた。

「それでは、遠慮せず頂戴します」

「足りなければ、いくらでも言って下さい」

「いえ、いえ」

 父は恐縮しきりだ。

 

 2人は金持ちに貰ったお金を店のカウンター席に広げると、笑顔になっていた。

「凄い金持ちなんやらな」

「100万くらいは、端金じゃないの?」

 そう言いながら母は笑った。

「でも、いい人やったな。金持ちと聞けば、嫌な人ばかりと思っていたけど、あんないい人おるんやな」

「武も、いい人に引き取って貰って、幸せになるね」

 母は嬉しくて泣いた。

 そこへ、何とか押入から出てきた娘は、階段を下りてくると必死の形相で父を睨んだ。

「武は?」

「今、引き取って貰った所」

 その言葉を聞くと、超特急のように家を飛び出し、外をキョロキョロした。しかし陰も形もなかった。走って、周りをキョロキョロするが、それらしき人も居ない。走り疲れ、息が切れたので、暫く突っ立っていると涙が出てきた。

「もう武とは一生会えない」

 悲しくなってきた。どんな人が来たのかも判らない。せめて顔だけでも見たかったが後の祭りだった。

 もう諦めたのかトボトボと家の方に向かって歩いた。母の所まで走っていくと、母に抱きついて泣き出した。武と一生会えない気持ちが、吹き出したのだ。

「どうして武を上げたのよ」

 その言葉に母は悲しくなってきた。

「しょうがなかったのよ。うちは貧乏だから。お母さんも、お父さんも辛いの」

 母も涙を溜めながら言った。かおりがひとしきり泣き終えると、引きつりながら、涙を拭いた。暫くすると、それも収まった。

「これ、どうしたの?」

 おでんの上の札束が見えた。

「武のお礼にって下さったのよ」

 かおりはあどけない表情で聞いたが、母の言葉に豹変した。

「お母さんは、武をお金で売ったの?武は物じゃないのよ」

 かおりは思い切り母を睨み付けた。その視線に母は急に反省し、かおりを見ることが出来なかった。

「お母さんも、お父さんも、武を物としか思ってないのよ」

 かおりは激しくののしった。かおりが武を可愛がっていたのを思い出すと、余計に悲しくなってきた。そしてかおりは毎日のように「お母さんも、お父さんも、武をお金で売ったのよ」と言い続けた。

 この出来事は、かおりにとっては人生最大のショックだった。後にも先にも、これを越える辛い出来事はなかった。このことが人生を大きく変えたと行っても過言ではなかった。これ以来、性格は暗くなり、心にぽっかり穴が空いたような気持ちになり、何をしても楽しくない。いつも弟のことばかり考えてしまう。そしてこのころから、弟の為にも自分は一生幸せになっては行けないんだと思うようになった。

 

「かおり、夕ご飯出来たわよ」

 母の呼びかけにも、かおりは答えず、武が居なくなってから寝室にうずくまったままだ。小さいながらの抵抗だったのだ。

 どうしても武と別々に暮らすことが信じれなかった。さっきまで一緒に居た武が居なくなり、もう2度と会えなと言うのが信じられなかったのだ。5歳で人生はもう終わったように感じられた。

「夕ご飯、食べなさい」

 もう一度、母が言ったが、かおりは意に介さなかった。武が帰ってくるまでは食べずにいるくらいの根性を据えていたのだ。悲しそうにしているかおりの側に母は近づいて優しく言葉をかけた。

「武は少しだけ預かって貰っているだけなのよ。暫くすると帰ってくるから」

「ほんと?」

 そう言うとかおりは急に嬉しそうに笑顔を見せ、食事を食べ始めた。その嬉しそうな顔を見たとき、母は自分の嘘に罪悪感を感じた。

 しかし、かおりは母の付いた嘘を、この後もずっと信じる事になる。しかし武が帰ってくることはなかったのだ。

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4へつづく