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第五章 そして春
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あれから20年の月日が流れ、秋本は40歳の春を迎えていた。会社では課長になり、念願の一戸建てを購入することも出来た。ゆり子と出会い、20回目の桜の咲く時期が回ってきていたが、ゆり子が実家に帰って以来、一度も会ってなく、連絡もなく、結婚しているのか、どうかも判らないのだ。しかしゆり子の事を忘れたことが出来ず、大人になって思い出すと、あの時もっと勇気が有ればと、そのことばかり考え、自分を責める日々だ。あのときゆり子と上手く行っていたら、こんなに悩むこともないし、人生変わっていただろうと思う。未だに1人の人を引きずっている自分が情けなく思う。彼女はとっくに忘れているだろう。もう結婚もし、子供も大きくなっているかもしれない。もう忘れようと何度も思ったが、なかなか忘れることが出来ないでいる。
会社の昼休み秋本はオフィッスの机で1人でコンビニの弁当を食べていた。
「課長、何時結婚するんですか?」
課長に入社3年目の鈴木文美が声をかけた。
「課長は20年間1人の人を思い続けているんだよ」
横にいた安達葉子が言った。これまた入社3年目だ
「ロマンチストだね。その人は幸せね」
「その人、今どうしているんですか?」
「どうしているかも判らないんだって」
「へー」
課長の横で文美と葉子が、秋本の話をしているので、秋本は恥ずかしくなってきた。そして話題を変えた。
「明日引っ越しなんやけど、手伝ってくれへんか?」
「いいですよ。課長の好きな人のこともっと知りたいし。もっと話して下さいね?」
「うん」
課長は鬱陶しそうに答えた。
「その人の写真とか無いんですか?」
「そう言えば写真撮った事無いな」
「つき合ってて写真1枚も撮ってないんですか?」
文美は驚いたが、考えてみれば写真が一枚もないというのは不思議な話だ。でも撮るほどデートを重ねてなかったし、気づいたら自分の側から離れていたのだ。
「課長の家も見てみたいです」
「私も見てみたい」
女の子達は課長の話で盛り上がっていた。
秋本は岡本7丁目に木造の20坪の新築を建てた。昔、通っていた大学にも近い。玄関は吹き抜けになっていて、天井からはシャンデリアがぶら下げ、二階へ行く階段が真っ直ぐ伸びている。階段の横は大きなガラスで光がよく入るように作られていて、全体的に木の温もりある家だ。
1階は広いフローリングのリビングとキッチン、ダイニング、風呂、洗面となっている。2階は6畳のフローリングが二部屋、10畳の和室となっている。真新しい畳は青々していて、いい香りがする。
周りに家も少ないので、家の中にはふんだんに光が入ってくる。庭も20坪くらいあり、真ん中に小さな白いテーブルを置き、周りには花が自然に生えていた。家は高台にあるので、そこの庭から神戸が見渡せる。走っている車や、桜も見え、海も見えるし、夜景ももちろん綺麗だった。
家のすぐ上は山になっていて、竹藪になっている。ときどきイノシシも顔を出したりする。下は急な坂が続くが、見晴らしは最高だった。
土曜日、会社の若い人男女6人が来て、引っ越しの手伝いをしてくれた。夕方になるころ引っ越しも終わり、秋本はみんなにパンとジュースを配り、庭に腰を下ろして食べた。
男達は庭の端の方まで行き、そこから見える景色を眺めた。
「景色が綺麗ですね」
「最高やろ。通っていた大学も見えるんや」
「課長、何処の大学通ってたんですか?」
「あそこの大学やで」
秋本は大学の方を指さした。
「岡本大学ですね」
女の子達は庭の真ん中にあるテーブルを囲って、パンを食べていた。
「課長!プレゼント何がいいか迷ったんですけど、これ庭に飾って下さいよ」
男達と景色を見ている課長を呼んだ。秋本が近づいてくると渡されたのは白雪姫と7人の小人の置物だった。
「これは庭に合いそうだね。ありがとう」
「これを見ながら、御茶飲むのもお洒落ですよ」
「奇麗な家に住み、後はお嫁さんが居れば、言うこと無しですね」
「いいな、私をお嫁さんにしてくださいよ。こんな家で住みたいな」
伊東はるかは、どこか、子供っぽさが残るロマンチストな乙女だ。
「お前は、家と結婚するのか」
秋本が、そう言うと、みんなで笑った。
「課長、桜の苗、見つかりましたか?」
葉子がそう言うと、みんな真剣な顔になった。
「何、桜の苗って?」
文美は不思議な顔して聞いた。
「庭に植えるのよ」
「まー、すてき。家は奇麗だし、庭に桜の木があり、神戸が一望できるし、ますますここで暮らしたくなるな」
はるかがそう言うと、またみんなで笑った。
「桜の木なんか、どこに行ったら売ってるのかしら?」
「花のことなら、はるかに聞けば詳しいよ」
「そんなこと無いよ。桜の苗なんかどこに売っているか判らないし。でも夢の中で探している物が見つかる話を、よく聞きますよ。だから、夢にお願いすれば、今晩でも夢の中に出てくるかもしれませんよ」
「はるかは夢見る乙女だからね」
みんな、また笑った。
「はるかちゃん、花に詳しいの?」
「多少は」
秋本は真剣な表情になり、はるかに聞くと、はるかは遠慮がちに答えた。
「ちょっと待ってて」
そう言うと秋本は家の中に走って入り、写真を見つけると、すぐに戻ってきた。
「この写真に写ってる花、何か判る?誰に聞いても判らなくて」
昔撮った花の写真を持ってきた。大学生時代に、自分のアパートの玄関の前に置いてあって、誰が置いたか判らない2種類の花束が写った写真だ。いつか謎が解けるかもしれないと思い、写真に撮っていたのだ。しかし今までいろいろな人に聞くが、誰も判らなかった。何の花か、誰が置いたのか、またこの花を見て麻紀が驚いたことも疑問だった。今まで誰に聞いても判らなかったので、謎が解ければいいと思い、軽い気持ちで見せただけなのだが、このとき疑問が氷解するとは思っても見なかった。
はるかは真剣な表情で写真を眺めていた。
「珍しい花ね」
そう言いながら思考を巡らせていた。
「昔、アパートの玄関に置いてあったんやけど、何の花か、誰が置いたのかも判らなくて」
そう言ったとたんに、はるかの頭脳にひらめきが出来た。
「あー、これはアメリカ産のバラ科の花ですよ」
「確か花言葉は・・貴方のことを想っています。だったと思う」
そのとき女の子達の表情が変わった。
「課長を、そんなに想ってくれている人が居たんだ」
「その子の気持ちに気づいてあげたんですか?」
秋本は硬い表情を浮かべ、その表情を見た葉子は、
「気づいてあげてないんだ!」
強い口調に変わった。
「男って鈍感だからね」
「ねー」
女の子は団結して、頷いた。
「でも地味な花ね」
小さい花を付けていて、全然目立たず、見過ごしてしまいそうな花を見て文美は言った。それに、はるかが付け足した。
「アメリカのある村では、こんな伝説が残っているの。消極的な女の子が、男の子に好きと言えなかったの。引っ越す前にそれを伝えたかったんだけど、言い出せなくって男の子の家の玄関の前に、この花を置いたの」
それを聞いた秋本は脳の思考回路を巡らせ、昔のことを思い出していた。
ゆり子が送ったのか?でも、あの後すぐに引っ越しはしてないし、引っ越ししたのは、花束を貰ってから大分、後やし。何かスッキリしない物が残った。
「それ以来、そこの村では好きと言うことが出来ない女の子が想いを伝えるために、男の子の玄関の前に、この花を置く風習が今でも残っているのよ」
はるかは更に言葉を続けた。
「私の気持ち判って、と言った感じね」
文美が気持ちを込めて言った。
恥ずかしくなった秋本は、話しを反らそうと別の質問をするが、しかし女の子から、そのことで総スカンを食らうはめになった。
「横に咲いている、もう1つの花は何?」
その途端、女の子達の表情に驚きの色が見えた。そして秋本はこの質問で全ての疑問が溶けるとは思っていなかったのだ。そして次の瞬間、秋本の目からは涙が流れだした。
「この花、知らないんですか?」
「そんな人が、この世の中にいるとは思わなかったわ」
また女の子は団結して、頷いた。そして文美は怒りながら言った。
「こんなの私でも知ってるわよ。ゆりよ、ゆり」
少し馬鹿にして言った。その刹那、秋本は脳天を思いっきり殴られたような衝撃が走った。これはゆり子が送った物に間違いない。そう確信したのだ。俺のこと嫌っているとばかり思っていたのに、想ってくれていたのだ。なぜあの時、もっと積極的に行かなかったのだ。なぜあのとき陰険なことをしてしまったのだ。もっと優しくしてあげれば良かったのに。そして秋本は驚き、顔から血の気が引いた。俺はゆり子の想いを、全く気づくことが出来なかったのだ。後悔の念がこみ上げてきた。秋本の目からは自然に涙が流れていた。あのとき、ゆり子の気持ちに気づいていたら、人生も変わっていただろう。後悔してもしたりない。
そして麻紀が驚いて帰ったことを思い出した。ゆりの花を見て、ゆり子だと判ったんだ。もう一つの花に気づいたかどうかは判らないが、ゆりの花を見てゆり子だと確信したんだ。そして彼女の彼に対する気持ちの強さに気づいて、自分は負けたと思ったのかもしれない。
秋本が泣いているのを見て、女達はからかったことを後悔し、大人しくなった。
「ちょっと言い過ぎました?」
「ごめんなさい」
「課長が泣くなんて思ってなかったんで」
「いや、いや、ごめんなさい」
秋本は涙を拭った。
「明日はゆっくり休んで、また月曜日会社でな」
そう言うと、みんなは坂を下り、帰っていった。
神戸の高台から見る景色は、
抜群の美しさだ。
空が青紫色に変化し、
次第に光りが上る。
太陽の日を浴びて街は目覚めだす。
マンション、ビル、建物が照らし出され、道路を走る車がくっきりと見える。
次第に日が沈み、夕焼け空になる。
沈みきると街は銀色に輝きだし、
そして静寂を迎える。
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18へつづく |
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