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10

 

 千絵が部屋でくつろいでいると、彩子は真剣な顔で入って来た。

「どうしたの?」

 千絵は心配そうな顔で言った。

「千絵の事が悪くて抑えていたけど、やっぱり松本さんのこと、好きになったみたいなの」

 彩子は千絵の顔色を伺いながら、下手に出た。

「1回だけデートさせてって言って、一回デートしたでしょ」

 千絵は少し強い口調になっていた。

「でも好きになるのは自由でしょ」

 千絵は彩子を睨み付けた。しかし彩子は悪びれた感じもなく続けた。

「彼、私に譲ってくれない」

「あなた正気で言ってるの!」

 千絵は切れかけだった。

「あなた可愛いし、また素敵な人が現れるわ」

「物じゃないのよ。そんなに簡単に譲れないわ。第一、彼に何て説明するのよ!」

 千絵がこんなに怒ったのは初めてかも知れない。彩子の度が越えた我が儘に、驚かされれるばかりだ。

「私が、こんなに言ってもダメなの。誰のお陰で、ここに住めていると思っているのよ」

 彩子は逆ギレして、部屋を出て行った。そう言われると、千絵は立場が弱い。どうすることも出来ず、暗くなった。

 

 朝、学校に出かけるときに、ママは2人を玄関まで見送ってくれた。

「これ後期の授業料」

 と言いママは2人に封筒に入れたお金を渡した。

「大金だから、落とさないでね?」

「はい」

 2人は玄関を一緒に出たが、昨日のしこりが残っていたので、一言も喋らず学校に向かった。

 

 この日の、放課後も3人はまた、校門で待ち合わせていた。しかし千絵の顔が少し引きつっていた。松本は、それを察した。

「どうしたの、千絵。また風邪でもひいたのか?」

「違うの。お金がないの」

 千絵はかなり焦っていた。

「財布落としたのか?」

「違うの、授業料がないのよ?」

「えー!どうするの明日締め切りよ!」

 彩子は驚いた。

「それが、どこを探しても見つからないのよ」

「どこかで落としたんじゃない?」

 2人とも顔色が変わった。

「帰ったら、ママに言って出してもらえばいいのよ」

 彩子は、あっさり言った。しかし千絵は、その言葉に反発した。

「ママには言わないで。そんな事言えないわ」

 千絵は居候の身分だし、お金を出して貰って大学まで行かせて貰っているのに、お金を落としたなんて言えるはずもなかった。

「流石に2回も出して貰うとなると、ママも怒ってしまうかもしれないわね。どうする120万もの大金」

 彩子は冷たかったが、千絵は必死だった。

「もっと探してみる」

「俺が貸してあげてもいいけど」

 千絵は助かったという気持ちになった。

「松本さん、あるの?」

 彩子は松本さんが、そんなに大金を持っているとは思わなかったので、驚いた。

「あると言うか、カードで借りるんだけど」

「それはダメよ。そんなこと出来ないわ!」

 千絵は驚いた。彼氏まで巻き込ましたくなかった。

「毎月、ちゃんと払ってくれればいいから」

「でも2人が別れることも、あるかもしれないし。別れた後も、お金だけ払う為に会うのもおかしいと思うし?」

 彩子は、淡々と言った。

「えー!」

 千絵は驚いた顔で、彩子の顔を見た。それに拍車をかけるように松本まで調子を合わせた。

「それはこの先、喧嘩して別れる事もないとは言いきれないし」

 今度は松本の方を不安げに見た。

「そうよ今の時代、初めて知り合った人と結婚する人など0に近いわ。別れたのに借金返しに来たって会うのも変よ」

 更に彩子は調子を合わせた。そして続けた。

「判ったわ。私、貯金あるから、それで何とかする」

「悪いわ?」

 千絵は彩子の優しさを感じた。元々は彩子は優しいのだ。でも最近、彩子に怒ってばかりだし、彩子に甘えるわけにはいかなかった。

「いいのよ、条件付きで」

「条件?」

 千絵は不安そうな顔で聞いた。

「それは、また家で話そ」

 千絵は、段々彩子のペースに載せられている事に不安を感じてきた。家までの道のりは、行きと同じで一言も喋らず、千絵は暗かった。

 

「たいだいま」

 2人は家の玄関を開け、彩子の元気な声が家の中に響いた。

「お帰り」

 奥でママの声が聞こえ、近づいてきた。

「ママには言わないでよ」

 千絵は彩子にこそこそ言った。

「判ってる」

 普段ならリビングでくつろぐのだが、母にも眼もくれず、2人は2階に上がり、別々の部屋に入った。母はいつもと少し違うなと言う違和感を感じたが、それほど気にも留めずにキッチンに戻った。

 千絵は着替えもせず、鞄をひっくり返していた。

「やばいなー、どこでなくしたんだろ」

 思い出そうにも思い出せない。そのときノックの音がして、彩子が入って来た。

「ほら、120万」

「でも借りても返せないわ」

「いいのよ上げるわ」

「えー!いいの?」

 その言葉に千絵は驚いた。

「そのかわり条件があるんだけど」

 彩子は言いにくそうに言う。

「お金出してくれるなら、何でも聞くわ」

 千絵は助かったと言った気持ちで胸をなで下ろした。

「ほんと!」

 その言葉を聞いて、彩子は喜んだ。

「それで彼の事なんだけど」

 彩子がそこまで言うと、千絵の顔が強ばった。

「彼を私に譲ってくれない?」

 彩子は言いにくそうに言ったが、それを聞いた千絵は目玉が飛び出さんばかりに驚いた。今までは半分冗談と思っていたが、これだけひつよく言うことを考えると本気みたいだ。

「ダメよ、それだけはダメ」

「さっき何でも言うこと聞くって言ったじゃない」

「でも、それはダメよ。他のことなら何でも聞くから」

「じゃー、このお金やめた」

「えー!」

 千絵は急に弱気になった。

「千絵が松本さんに、今までのは遊びだったのよ、と言えばいいのよ」

 千絵はうつむいたまま何も言えなかった。
「簡単でしょ」


 そう言われると、力が抜けた。千絵に選択の余地はなかった。彩子はお金を置いて、部屋から出て行った。

 

 その日の夜、千絵は布団の中に潜り込むと、松本の顔を浮かべ、彼をふる練習をした。

「今までのは遊びだったの」

 と言ってみた。

「嫌、絶対に言えない。そんな事」

 そして、また松本の顔を浮かべた。

「好きって言ったのは嘘よ。ちょっとからかっただけ」

「絶対、無理だ」

「本当はタイプではなかったの。私、面食いだから、もっとカッコいい人が好きなの」

 いくらでも言葉は浮かぶが、そんな事を考えていると悲しくなるばかりだった。

 千絵は、布団の中で丸まり、悲しさで体を震わせていた。それが布団の上からも伝わり、布団が揺れていた。

「私は、やっぱり不幸の星の下に生まれたのよ。私に幸せなんか、訪れるわけはないのよ。夢見ていた私が馬鹿だったわ」

 そう言うと涙が流れた。

「パパ、早く帰ってきて」

「パパ早く。こんな家なんか、もう出たい」

「パパと出会わないと、幸せは来ないと思うの。パパ早く私を迎えに来て」

 涙が止まらなくなっていた。

 

 いつものように松本は校門の前に待っていた。2人は建物から出てきて、千絵の表情は暗かった。

「ちゃんと言いなさいよ」

 彩子が千絵に厳しく言った。彩子は千絵の気持ちなど考えない悪魔のように見えた。しかし彩子はただ人の物がよく見え、人の物が欲しかったのだ。人の物はよく見え、それを欲しいと思っただけで、悪魔のような心を持っていたわけではなかった。

「いつも待たせてすいません」

 彩子はニコニコして言ったが、千絵の表情が暗いので松本は心配になった。

「昨日のお金まだ見つからないの?」

「あれは私が何とかしたんです」

 彩子がさっと横から明るく言った。千絵はその一瞬の隙をねらって、2人の間をすり抜けるように走って坂を下っていった。遊びだったなどと言うのは口が裂けても言えなかった。苦しくて、苦しくて、その場から早く逃げたかったのだ。

 松本は暗い表情で走り去った千絵を見て驚き、彩子に聞いた。

「どうしたの?」

「判らない?」

 彩子は笑って、言った。

「せっかくですから、2人でお茶に行きましょ」

 彩子はニコニコしながら言い、2人は喫茶店で腰を下ろした。

「心配だから彼女に電話してみる」

 そう言うと松本は電話をかけた。千絵の鞄の中からは発信音が鳴っていて、聞こえていたが、鞄から携帯を取り出そうともせず、ただ暗く歩いていた。いくら経っても携帯をとらないので、彩子はニタニタしながら言った。

「たぶん電車に乗っているんでしょ?」

「でも、今日はどうしたんだろ?」

「あの子、ああ見えてわがままなんです。何か気にいらないことがあると、すぐへそを曲げて話もしてくれなくなるんです」

「居候のみなのに、そんな事するの?」

「そうなんですよ。それにあの子のパパ、行方判らないって言ってたけど、本当は今、拘置所に居るんです」

 彩子はひそひそ声で言った。

「拘置所?」

「人を殺したんですよ」

「えー、人殺し!」

 出任せが次々に口をついて出てきた。

「千絵から聞いてないですか?」

「それは聞いてない」

「それは言えないですよね」

 彩子は笑っていた。松本は彩子の言葉を本気で信じていた。

「それにね、いつも私の物を欲しがるんですよ」

「そんな所、あるんだ」

「ママが2人にケーキを出してくれても、いつも私の方が大きいって言って、取り替えるんですよ」

「えっ!」

「今は猫かぶっているから、先輩も気を付けた方がいいですよ」

 松本が自分の口車に載ってきているのが判り、心の中では喜んでいた。さらに滑らかになった舌からは、自分でも信じられない事をどんどん口にするようになり、溢れる嘘の固まりに自分が一番驚く事になった。

「高校の時なんか、男をとっかえひっかえして、二股三股は当たり前なんです」

「そうは見えなかったな」

「純情そうに見せて、男が振り向くのを待つの。振り向くと興味なくなり、ポイッと捨てるの。それで私が何度尻ぬぐいさせられたことか」

「え、そうなの?」

「いらなくなると、後お願いって、私に面倒を見させるの。今回も松本さんの事お願いって、私言われたのよ」

「そんなひどい子だったの!」

「その証拠に、松本さんが連絡しなければ、千絵から連絡することはないわ。だから、もう千絵とは会わない方がいいし、連絡もしない方がいいわ」

 彩子は松本から千絵に電話をしないように歯止めを掛けた。後は千絵に歯止めを掛ければ、これで全てが上手く行く。そして松本が簡単に自分の口車に載った事に嬉しかった。また自分の嘘のうまさにも驚き、自分にもこんな嘘が言えるのかと再認識し、天才じゃないのかと思えた。このときは千絵の事を微塵も悪いと感じていなかった。いつも千絵の物を欲しがるので、それに慣れきっていたのだ。

 

 千絵は彩子が帰ってくるのを部屋で待っていた。彩子が帰ってくると、千絵は彩子の部屋に入った。

「松本さんとは、どうだった?」

 千絵は心配そうに聞いた。

「千絵が黙って帰ったから怒っていたわ」
「だって彩子がそうしって言ったから」


「松本さんとは上手くしといたから。もう連絡もしないでね。電話かかってきても、絶対でないでね」

 彩子は強く言い放った。彩子の優しさのかけらも感じない対応に、千絵は悲しくなってきた。普段は優しいのに、人の物を欲しがるときは、人が変わったようになってしまう。

 

 今日は千絵と彩子が先に校門の前で待っていた。

「もう帰ってよ」

 今度は彩子が千絵に言っていた。

「私、あんな形で別れるの嫌よ」

「後は私が何とかするから、早く帰って」

 そのとき校舎から松本が出てきた。松本は2人に気づいたのか笑顔を見せた。校門に近づいてきたとき、彩子に笑顔を見せたが、千絵を一瞥(いちべつ)することもなかった。昨日の彩子の言葉を全て信じていたのだ。

 彩子は、松本の腕に抱きつくと、千絵を無視して2人で歩き出し、取り残された千絵は後ろから声をかけた。

「松本さん、昨日は勝手に帰ってすいませんでした」

 松本は振り向かずに、彩子が振り向いて睨んだ。さっさと帰って、と言いたげだった。

 千絵は1人取り残されて悲しい気持ちになった。

「松本さん、どうしたんだろう?どうしてあんなに変わってしまったんだろう」

 千絵は悲しくなり、校門の前でしゃがみ込んでしまい、暫く悩んでいた。どうして1日で、あんなに変わってしまったか、自分には思い当たる節がない。考えても、考えても判らず、暗くなるだけだった。しゃがみ込んだまま、無気力に鞄から携帯を取り出すと、彼にかけた。

 2人が喫茶店の席に着くと同時に、松本の携帯が鳴っていた。

「誰から?」

「千絵だ」

 彩子は松本の携帯を奪うと、優しさのかけらも見せずに電源を切った。

 

「出ないな!」

 何回かの着信音の後、松本が出ない事で不安を感じ、泣きそうになった。そして呼び出し音が切れる音を聞いて、ガクッと落ち込んでしまった。そして重い腰を上げると、駅に向かいトボトボと歩いた。一時の幸せな気持ちも、今はかけらも残っていない。幸せだっただけに、そのギャップがキツく感じた。

 

 千絵は部屋で落ち込み、気力を失っていた。今まで側にいた松本がいなくなり、ぽっかり隙間が空いたような感じで、ボーと何もせず1時間ほど過ごした。

 そこに彩子が帰ってきた。帰って来るなり、千絵の部屋に向かい、ドアを開けたかと思うと怒っていた。

「もう連絡しないでっていったでしょ!」

「でも?」

 気力を失った千絵は弱々しい声で言った。今まで不幸を引きずってきたので、すっかり元の弱腰になっていた。

「彼、あんたのこと嫌いだって」

「えー!」

 それを聞いて、泣きそうになった。

「最初から、そんなに興味がなかったんだって。千絵が近づいてきたから、つき合ってあげたんだって」

 彩子のキツい言葉に、千絵は何も言葉を返す事が出来ない。そんな千絵に彩子は更にキツい言葉を投げかけた。

「暫くつき合ったら、捨てるつもりだったんだって。傷つく前に別れてよかったね」

 そう言うとドアを激しく閉めた。彩子は完全に鬼のようになっていた。1人取り残された千絵は泣き出した。千絵は居候の身なんだから、これくらいしてもいいのよと、彩子の頭にはあった。それが鬼のような形相へと変えた。

「私のこと、好きって言ってたじゃない。あのとき海で叫んだじゃない」

 千絵は涙を流していた。

「積極的な彩子より、控えめな私の方が好きって言ってたじゃない。それも全部嘘だったんだね」

 完全に彩子の罠にはまってしまっていた。

「自分は幸せになっては行けないんだ。幸せになろうとするから罰が当たったんだ」

 そう思うと、涙が止まらなくなった。暫く明るくなっていたのに、このときを期に、また元の暗い千絵に戻っていった。

 

 ある日の朝、千絵は眠い目をこすり、パジャマのままダイニングに降りていくと、パパとママはすでにパンを食べていた。この日、更なるショックな出来事が起こった。

「おはよう」

「昨日、彩子、帰ってきてないのよ。どこに行ったか知らない?」

「知らない」

 そう言いながらも、千絵は内心、冷静ではなかった。きっと彼の家に泊まったんだ。

「もう私との関係は、修復できない状態になっているんだ」

 そう思うと、より一層暗くなった。そんな千絵を気にすることなく、ママは忙しく動き回り、朝の支度をした。

「パン食べたら、悪いけど彩子の分のゴミも持ってきてくれる」

「はい」

 千絵は眠さと、ショックで、食が進まなかった。

「早く食べなさい。学校遅れるわよ」

「はい」

 眠い目で時計を一瞥して、我に返った。
「あ、急がないと」


 手に持っているパンを口に加え、そのまま部屋に入りと、急いで着替えた。ゴミ箱を持ち、部屋を出ると、

「あ、そうだ彩子の分のゴミも持っていかないと」

 彩子の部屋を空け、ゴミ箱を持って部屋を出た。

「急がないと」

 あまり慌てていたので、つまずいて、ゴミ箱をひっくり返してしまった。

「あー、しまった」

 散らかったゴミを急いでゴミ箱の中に入れると、何かが目に入り、動きが止まった。

「あれ!」

 ある物に目がとまった。

「これ、授業料を入れていた封筒」

 不思議なことに封筒は2枚あった。一瞬、疑問に思ったが、我に返った。

「あー、急がないと」

 急いで階段を下り、玄関の前にゴミ箱を2個置くと。

「ママ、ここに置いとく」

「はい、行ってらっしゃい」

「行ってきます」

 そう言うと、急いで出て行った。

 登校中、松本と彩子が昨日、何していたか考えながら歩いていると、暗くなった。暗くなるばかりなので、もう考えるのはやめにした。

 そして次ぎに脳裏をよぎったのは、彩子のゴミ箱にあった2枚の封筒。

「授業料、彩子が隠したの?まさか?」

 彩子を疑いたくなかったが、そう疑わずにはいれない。

「でも封筒が2枚出たと言うことは、私の分のじゃない?」

「考えてみると、あの子が120万も持っているわけないし。でも何で隠したの?」

「もしかして松本さんを奪うために、しくんだ事なの。私が断れきれない状況にするために、しくんだんじゃない?」

 校門まで続く1本道を歩き、教室に着くまで、さっきの事で頭がいっぱいだった。彼女を疑りたくないと言う気持ちと、疑問が晴れないと言う板挟みで、悩み、すっきりしないまま教室に着いた。

「彩子が来たら、問いつめてやる!」

 考えたあげく答えが見つからないので、そこに解決策が収まった。教室につくと彼女を捜した。辺りをキョロキョロするが、まだ来ていないみたいだ。

「まだ来てないようね。来たら問いつめてやる」

 少し切れていた。そのとき授業のベルが鳴った。授業のベルが鳴っても、彩子は姿を見せなかった。

「あれ遅刻する気!」

 千絵は急に不安になってきた。

「いつまで2人で仲良くすれば気がすむのよ。授業くらい来なさいよ」

 少し切れていたが、その日1日待ったが彩子は現れなかった。そのことで仲良くしている2人を想像し、居たたまれない気持ちになった。

 

 千絵はベットに寝ころび、松本のことを考えていた。

「今頃、2人は仲良くしてるのよね」

 あまりにも長い時間、2人が一緒にいるので、怒りが増長していった。

「千絵が帰って来たら、授業料の事問いつめてやる」

 そう意気込んでいた。しかし彼女の方から、部屋に入って来た。

「コンコン」

 ドアをノックする音がした。ドアを開くなり、彩子が泣きながら入って来た。

「千絵、ご免なさい」

 千絵は上半身を起こした。あまりの意外な展開に驚いた。今まで仲良くしているのだと思っていたが、泣いて入って来たのに驚き、千絵の怒りは薄れ、問いつめる事を忘れていた。

「どうしたの?」

「私、松本さんと喧嘩してしまったの」

「えっ!」

 と言いながら、千絵は心の中で喜んでいた。もしかしたらチャンスが戻ってきたのかもしれない。もともと松本は彩子より、千絵の方が好きだと言っていたのだから、当然なことだ。千絵は心配そうな顔をしていたが、心の中では喜んでいた。しかし彩子の口からは以外な言葉が飛び出した。

「今度、松本さんを遊園地に誘うから、あなた仲を取り持って欲しいの」

「えー!嫌よ」

 彩子の厚かましさに大きい声が出てしまった。

「松本さんとデートがしたいんでしょ」

「したいけど、そう言う形のデートじゃないでしょ」

「頼んだわよ」

 そう言うと、勢いよく部屋から出て行った。そして問いつめる事も忘れ、また心配事が増えた。そして、これは千絵にとって、もっとも辛い役回りとなったのは言うまでもない。

 彩子は以前の彩子ではなかった。どんどん厚かましくなり、鬼のようになっていくような感じがした。

 

 とうとう3人で遊園地に行く日が来た。千絵は本当は行きたくなかったが、彩子に強引に連れてこられた。車の前には松本と彩子が座り、後ろに千絵が座っていた。千絵は彩子を見て、少し前までは私が、そこに座っていたのにと思った。そう思いながら終始うつむいていた。

 松本は彩子には見向きもせず、話しかけることもなかった。それが千絵にとって悲しく、辛いものになった。

「この前は、ご免なさい」

 彩子が松本に謝った。

「大丈夫、あのときは眠かったから、ちょっとしたことでイラッときて。俺も大人げなかったよ」

 2人は仲直りしていた。

「じゃー、私はもういいじゃない」

 しかし、後ろで静かに座っていると、切り出すことも出来なかった。途中で車を降りるわけにも行かないし。

 

 3人でジェットコースターの列を並んでいるときも、松本と彩子は楽しそうに話していたが、2人は千絵の方を見ることはなかったし、気遣う事もなかった。

「どうして千絵を呼んだんだ?」

「だって、この前喧嘩したから、気まずくなったらまずいと思って、呼んだのよ」

 松本と彩子はコソコソ喋っていたが、千絵に丸聞こえだった。その言葉は悲しみを助長し、その場を逃げ出したい気持ちにさせた。逆に松本にとっては千絵が居る事で、気まずさを助長した感じとなった。千絵は気まずい雰囲気に居たたまれない気持ちになり、暗く、押し黙っていた。

 松本と彩子はジェットコースターの前の席に座わり、千絵は後ろに座っていた。松本と彩子は楽しそうにはしゃいでいたが、千絵は全然楽しくなかった。急速度で突っ走るジェットコースターの中で彩子は叫んでいたが、千絵は静かに下を向いて、声を出せずに、恐怖を押し殺していた。

「ジェットコースター楽しかったね。次あれ乗ろ」

 彩子が松本に言い、千絵は、その後ろを暗く黙って付いて行くしかなかった。楽しいはずの遊園地も、こういう形で来れば地獄になってしまう。近くにあるベンチに、崩れるように座った。ストレスと言う錘(おもり)につぶされていた。

 彩子は後ろから付いてきてない千絵を見て、慌てて後ろに引き返した。

「大丈夫?」

 彩子は初めて、温かい言葉をかけてくれた。

「ごめんね。仲直りできると思ってなかったから、千絵を呼んだんだけど。申し訳ない」

「ちょっと疲れたから座ってる。2人で好きなの乗ってきて」

「うん、判った」

 そう言うと嬉しそうに松本の元へ走っていった。彩子にとっても千絵の事が少し重石に感じるようになっていた。自分が千絵を呼んだわけだが、仲直りした後では、重石以外のなにものでもない。こんなに簡単に仲直りできるとは思ってもいなかったのだ。

 ベンチでポツンと1人で座っていると、段々悲しくなり、涙が出てきた。千絵の前を通る人は、みんな笑顔に溢れれているのに、遊園地で暗くなっているのは千絵だけだった。

「本当は、私と松本さんで来るはずだったのに」

 仲がいいカップルを見ると涙が出てきた。そして2人の最初の出会いを思い出していた。

「お姉さん何か落としましたよ」

 と言われ、ハンカチを受け取り、目と目が合い見つめ合った。

「あのときは最高に幸せだった。あのときは、あんなに優しかったのに。どうして私を避けるようになったんだろう」

 彩子の嘘など知るよしもなかった。

「今度ディズニーランドに行こう」

 と言ったパパの言葉を思い出して、また悲しくなってきた。久しぶりにパパの事が思い出された。幸せなときは思い出さないが、辛いときはパパの事を思い出してしまう。そしてなぜか遊園地の予定を立てると上手く行かなくなる。

 彩子の声が近づいてきたとき、千絵は慌てて涙を拭いて、2人の事など気にしなかったように明るく振る舞った。

「あー、疲れた」

 彩子は千絵の座っている横にドサッと腰掛けた。

「さっきの乗り物、速いから腰が抜けたよ。あ、そうそう」

 と彩子は言いながら財布を捜した。

「千絵ちゃん、コーヒー3つ買ってきて」

「うん、いいよ」

 無理に明るく振る舞った。お金を貰い、勢いよく走り出し、2人が見えない所に行くと、苦しさから泣いていた。

 

 1ヶ月が経った頃、千絵は松本とのデートがないので、毎日帰りが早い。そして無気力になることが多かった。ボーと部屋の窓から外を覗いていると、松本と彩子が仲良さそうに腕を組んでいる姿が見えた。

「本当に遠い存在になってしまったのね」

 ポツリと言いながら、涙が溢れてきた。

 玄関が開くと、2人が入ってきた。ママが近づいてきて、驚いた表情を浮かべた。

「ママ紹介する、松本さん」

 彩子は明るく紹介した。

「まー、あなたが男の人を連れてくるなんて珍しいわ。さー、上がってちょうだい。お茶でも入れるわ」

「あ、そうそう千絵ちゃんも呼ばないと」

 ママはキッチンの方に向かおうとしたが、振り向いて言った。

「ママいいのよ2人にさせて」

「あ、そうね。ごめんなさい、気が利かなくて」

「後で部屋に、ケーキとお茶持ってきて」「はいはい」


 彩子は自分の部屋に松本を案内し、少し照れた感じでケーキをホークで突き刺すと、松本の口にケーキを持っていった。


「松本さん、あーん」

 そう言うと松本はケーキをパクッと食べた。

「今度、私にして」

 その声は千絵の部屋にも漏れていた。千絵は床に座り込んで、耳を手で押さえ、聞こえないようにした。仲良さそうな声を聞くと、千絵は胸が張り裂けんばかりに苦しかった。

「でもこれで終わった訳じゃないんだ。勝手に諦める必要はないのよ。でも私は彩子のように積極的に出来ないから、あなたが、いつか私の下に戻ってくるまでは、私も彼氏を作らないし、いつでも戻ってくる準備をしているから、それまで待っているわ」

 そう思うと、悲劇のヒロインのように思えてきて、勇気が湧いてきた。

「あなたが、もう一度、私に振り向いてくれるまで、ずっと、ずっと、いつまでも待っているわ」

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11へつづく