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10
千絵が部屋でくつろいでいると、彩子は真剣な顔で入って来た。
「どうしたの?」
千絵は心配そうな顔で言った。
「千絵の事が悪くて抑えていたけど、やっぱり松本さんのこと、好きになったみたいなの」
彩子は千絵の顔色を伺いながら、下手に出た。
「1回だけデートさせてって言って、一回デートしたでしょ」
千絵は少し強い口調になっていた。
「でも好きになるのは自由でしょ」
千絵は彩子を睨み付けた。しかし彩子は悪びれた感じもなく続けた。
「彼、私に譲ってくれない」
「あなた正気で言ってるの!」
千絵は切れかけだった。
「あなた可愛いし、また素敵な人が現れるわ」
「物じゃないのよ。そんなに簡単に譲れないわ。第一、彼に何て説明するのよ!」
千絵がこんなに怒ったのは初めてかも知れない。彩子の度が越えた我が儘に、驚かされれるばかりだ。
「私が、こんなに言ってもダメなの。誰のお陰で、ここに住めていると思っているのよ」
彩子は逆ギレして、部屋を出て行った。そう言われると、千絵は立場が弱い。どうすることも出来ず、暗くなった。
朝、学校に出かけるときに、ママは2人を玄関まで見送ってくれた。
「これ後期の授業料」
と言いママは2人に封筒に入れたお金を渡した。
「大金だから、落とさないでね?」
「はい」
2人は玄関を一緒に出たが、昨日のしこりが残っていたので、一言も喋らず学校に向かった。
この日の、放課後も3人はまた、校門で待ち合わせていた。しかし千絵の顔が少し引きつっていた。松本は、それを察した。
「どうしたの、千絵。また風邪でもひいたのか?」
「違うの。お金がないの」
千絵はかなり焦っていた。
「財布落としたのか?」
「違うの、授業料がないのよ?」
「えー!どうするの明日締め切りよ!」
彩子は驚いた。
「それが、どこを探しても見つからないのよ」
「どこかで落としたんじゃない?」
2人とも顔色が変わった。
「帰ったら、ママに言って出してもらえばいいのよ」
彩子は、あっさり言った。しかし千絵は、その言葉に反発した。
「ママには言わないで。そんな事言えないわ」
千絵は居候の身分だし、お金を出して貰って大学まで行かせて貰っているのに、お金を落としたなんて言えるはずもなかった。
「流石に2回も出して貰うとなると、ママも怒ってしまうかもしれないわね。どうする120万もの大金」
彩子は冷たかったが、千絵は必死だった。
「もっと探してみる」
「俺が貸してあげてもいいけど」
千絵は助かったという気持ちになった。
「松本さん、あるの?」
彩子は松本さんが、そんなに大金を持っているとは思わなかったので、驚いた。
「あると言うか、カードで借りるんだけど」
「それはダメよ。そんなこと出来ないわ!」
千絵は驚いた。彼氏まで巻き込ましたくなかった。
「毎月、ちゃんと払ってくれればいいから」
「でも2人が別れることも、あるかもしれないし。別れた後も、お金だけ払う為に会うのもおかしいと思うし?」
彩子は、淡々と言った。
「えー!」
千絵は驚いた顔で、彩子の顔を見た。それに拍車をかけるように松本まで調子を合わせた。
「それはこの先、喧嘩して別れる事もないとは言いきれないし」
今度は松本の方を不安げに見た。
「そうよ今の時代、初めて知り合った人と結婚する人など0に近いわ。別れたのに借金返しに来たって会うのも変よ」
更に彩子は調子を合わせた。そして続けた。
「判ったわ。私、貯金あるから、それで何とかする」
「悪いわ?」
千絵は彩子の優しさを感じた。元々は彩子は優しいのだ。でも最近、彩子に怒ってばかりだし、彩子に甘えるわけにはいかなかった。
「いいのよ、条件付きで」
「条件?」
千絵は不安そうな顔で聞いた。
「それは、また家で話そ」
千絵は、段々彩子のペースに載せられている事に不安を感じてきた。家までの道のりは、行きと同じで一言も喋らず、千絵は暗かった。
「たいだいま」
2人は家の玄関を開け、彩子の元気な声が家の中に響いた。
「お帰り」
奥でママの声が聞こえ、近づいてきた。
「ママには言わないでよ」
千絵は彩子にこそこそ言った。
「判ってる」
普段ならリビングでくつろぐのだが、母にも眼もくれず、2人は2階に上がり、別々の部屋に入った。母はいつもと少し違うなと言う違和感を感じたが、それほど気にも留めずにキッチンに戻った。
千絵は着替えもせず、鞄をひっくり返していた。
「やばいなー、どこでなくしたんだろ」
思い出そうにも思い出せない。そのときノックの音がして、彩子が入って来た。
「ほら、120万」
「でも借りても返せないわ」
「いいのよ上げるわ」
「えー!いいの?」
その言葉に千絵は驚いた。
「そのかわり条件があるんだけど」
彩子は言いにくそうに言う。
「お金出してくれるなら、何でも聞くわ」
千絵は助かったと言った気持ちで胸をなで下ろした。
「ほんと!」
その言葉を聞いて、彩子は喜んだ。
「それで彼の事なんだけど」
彩子がそこまで言うと、千絵の顔が強ばった。
「彼を私に譲ってくれない?」
彩子は言いにくそうに言ったが、それを聞いた千絵は目玉が飛び出さんばかりに驚いた。今までは半分冗談と思っていたが、これだけひつよく言うことを考えると本気みたいだ。
「ダメよ、それだけはダメ」
「さっき何でも言うこと聞くって言ったじゃない」
「でも、それはダメよ。他のことなら何でも聞くから」
「じゃー、このお金やめた」
「えー!」
千絵は急に弱気になった。
「千絵が松本さんに、今までのは遊びだったのよ、と言えばいいのよ」
千絵はうつむいたまま何も言えなかった。
「簡単でしょ」 そう言われると、力が抜けた。千絵に選択の余地はなかった。彩子はお金を置いて、部屋から出て行った。
その日の夜、千絵は布団の中に潜り込むと、松本の顔を浮かべ、彼をふる練習をした。
「今までのは遊びだったの」
と言ってみた。
「嫌、絶対に言えない。そんな事」
そして、また松本の顔を浮かべた。
「好きって言ったのは嘘よ。ちょっとからかっただけ」
「絶対、無理だ」
「本当はタイプではなかったの。私、面食いだから、もっとカッコいい人が好きなの」
いくらでも言葉は浮かぶが、そんな事を考えていると悲しくなるばかりだった。
千絵は、布団の中で丸まり、悲しさで体を震わせていた。それが布団の上からも伝わり、布団が揺れていた。
「私は、やっぱり不幸の星の下に生まれたのよ。私に幸せなんか、訪れるわけはないのよ。夢見ていた私が馬鹿だったわ」
そう言うと涙が流れた。
「パパ、早く帰ってきて」
「パパ早く。こんな家なんか、もう出たい」
「パパと出会わないと、幸せは来ないと思うの。パパ早く私を迎えに来て」
涙が止まらなくなっていた。
いつものように松本は校門の前に待っていた。2人は建物から出てきて、千絵の表情は暗かった。
「ちゃんと言いなさいよ」
彩子が千絵に厳しく言った。彩子は千絵の気持ちなど考えない悪魔のように見えた。しかし彩子はただ人の物がよく見え、人の物が欲しかったのだ。人の物はよく見え、それを欲しいと思っただけで、悪魔のような心を持っていたわけではなかった。
「いつも待たせてすいません」
彩子はニコニコして言ったが、千絵の表情が暗いので松本は心配になった。
「昨日のお金まだ見つからないの?」
「あれは私が何とかしたんです」
彩子がさっと横から明るく言った。千絵はその一瞬の隙をねらって、2人の間をすり抜けるように走って坂を下っていった。遊びだったなどと言うのは口が裂けても言えなかった。苦しくて、苦しくて、その場から早く逃げたかったのだ。
松本は暗い表情で走り去った千絵を見て驚き、彩子に聞いた。
「どうしたの?」
「判らない?」
彩子は笑って、言った。
「せっかくですから、2人でお茶に行きましょ」
彩子はニコニコしながら言い、2人は喫茶店で腰を下ろした。
「心配だから彼女に電話してみる」
そう言うと松本は電話をかけた。千絵の鞄の中からは発信音が鳴っていて、聞こえていたが、鞄から携帯を取り出そうともせず、ただ暗く歩いていた。いくら経っても携帯をとらないので、彩子はニタニタしながら言った。
「たぶん電車に乗っているんでしょ?」
「でも、今日はどうしたんだろ?」
「あの子、ああ見えてわがままなんです。何か気にいらないことがあると、すぐへそを曲げて話もしてくれなくなるんです」
「居候のみなのに、そんな事するの?」
「そうなんですよ。それにあの子のパパ、行方判らないって言ってたけど、本当は今、拘置所に居るんです」
彩子はひそひそ声で言った。
「拘置所?」
「人を殺したんですよ」
「えー、人殺し!」
出任せが次々に口をついて出てきた。
「千絵から聞いてないですか?」
「それは聞いてない」
「それは言えないですよね」
彩子は笑っていた。松本は彩子の言葉を本気で信じていた。
「それにね、いつも私の物を欲しがるんですよ」
「そんな所、あるんだ」
「ママが2人にケーキを出してくれても、いつも私の方が大きいって言って、取り替えるんですよ」
「えっ!」
「今は猫かぶっているから、先輩も気を付けた方がいいですよ」
松本が自分の口車に載ってきているのが判り、心の中では喜んでいた。さらに滑らかになった舌からは、自分でも信じられない事をどんどん口にするようになり、溢れる嘘の固まりに自分が一番驚く事になった。
「高校の時なんか、男をとっかえひっかえして、二股三股は当たり前なんです」
「そうは見えなかったな」
「純情そうに見せて、男が振り向くのを待つの。振り向くと興味なくなり、ポイッと捨てるの。それで私が何度尻ぬぐいさせられたことか」
「え、そうなの?」
「いらなくなると、後お願いって、私に面倒を見させるの。今回も松本さんの事お願いって、私言われたのよ」
「そんなひどい子だったの!」
「その証拠に、松本さんが連絡しなければ、千絵から連絡することはないわ。だから、もう千絵とは会わない方がいいし、連絡もしない方がいいわ」
彩子は松本から千絵に電話をしないように歯止めを掛けた。後は千絵に歯止めを掛ければ、これで全てが上手く行く。そして松本が簡単に自分の口車に載った事に嬉しかった。また自分の嘘のうまさにも驚き、自分にもこんな嘘が言えるのかと再認識し、天才じゃないのかと思えた。このときは千絵の事を微塵も悪いと感じていなかった。いつも千絵の物を欲しがるので、それに慣れきっていたのだ。
千絵は彩子が帰ってくるのを部屋で待っていた。彩子が帰ってくると、千絵は彩子の部屋に入った。
「松本さんとは、どうだった?」
千絵は心配そうに聞いた。
「千絵が黙って帰ったから怒っていたわ」
「だって彩子がそうしって言ったから」 「松本さんとは上手くしといたから。もう連絡もしないでね。電話かかってきても、絶対でないでね」
彩子は強く言い放った。彩子の優しさのかけらも感じない対応に、千絵は悲しくなってきた。普段は優しいのに、人の物を欲しがるときは、人が変わったようになってしまう。
今日は千絵と彩子が先に校門の前で待っていた。
「もう帰ってよ」
今度は彩子が千絵に言っていた。
「私、あんな形で別れるの嫌よ」
「後は私が何とかするから、早く帰って」
そのとき校舎から松本が出てきた。松本は2人に気づいたのか笑顔を見せた。校門に近づいてきたとき、彩子に笑顔を見せたが、千絵を一瞥(いちべつ)することもなかった。昨日の彩子の言葉を全て信じていたのだ。
彩子は、松本の腕に抱きつくと、千絵を無視して2人で歩き出し、取り残された千絵は後ろから声をかけた。
「松本さん、昨日は勝手に帰ってすいませんでした」
松本は振り向かずに、彩子が振り向いて睨んだ。さっさと帰って、と言いたげだった。
千絵は1人取り残されて悲しい気持ちになった。
「松本さん、どうしたんだろう?どうしてあんなに変わってしまったんだろう」
千絵は悲しくなり、校門の前でしゃがみ込んでしまい、暫く悩んでいた。どうして1日で、あんなに変わってしまったか、自分には思い当たる節がない。考えても、考えても判らず、暗くなるだけだった。しゃがみ込んだまま、無気力に鞄から携帯を取り出すと、彼にかけた。
2人が喫茶店の席に着くと同時に、松本の携帯が鳴っていた。
「誰から?」
「千絵だ」
彩子は松本の携帯を奪うと、優しさのかけらも見せずに電源を切った。
「出ないな!」
何回かの着信音の後、松本が出ない事で不安を感じ、泣きそうになった。そして呼び出し音が切れる音を聞いて、ガクッと落ち込んでしまった。そして重い腰を上げると、駅に向かいトボトボと歩いた。一時の幸せな気持ちも、今はかけらも残っていない。幸せだっただけに、そのギャップがキツく感じた。
千絵は部屋で落ち込み、気力を失っていた。今まで側にいた松本がいなくなり、ぽっかり隙間が空いたような感じで、ボーと何もせず1時間ほど過ごした。
そこに彩子が帰ってきた。帰って来るなり、千絵の部屋に向かい、ドアを開けたかと思うと怒っていた。
「もう連絡しないでっていったでしょ!」
「でも?」
気力を失った千絵は弱々しい声で言った。今まで不幸を引きずってきたので、すっかり元の弱腰になっていた。
「彼、あんたのこと嫌いだって」
「えー!」
それを聞いて、泣きそうになった。
「最初から、そんなに興味がなかったんだって。千絵が近づいてきたから、つき合ってあげたんだって」
彩子のキツい言葉に、千絵は何も言葉を返す事が出来ない。そんな千絵に彩子は更にキツい言葉を投げかけた。
「暫くつき合ったら、捨てるつもりだったんだって。傷つく前に別れてよかったね」
そう言うとドアを激しく閉めた。彩子は完全に鬼のようになっていた。1人取り残された千絵は泣き出した。千絵は居候の身なんだから、これくらいしてもいいのよと、彩子の頭にはあった。それが鬼のような形相へと変えた。
「私のこと、好きって言ってたじゃない。あのとき海で叫んだじゃない」
千絵は涙を流していた。
「積極的な彩子より、控えめな私の方が好きって言ってたじゃない。それも全部嘘だったんだね」
完全に彩子の罠にはまってしまっていた。
「自分は幸せになっては行けないんだ。幸せになろうとするから罰が当たったんだ」
そう思うと、涙が止まらなくなった。暫く明るくなっていたのに、このときを期に、また元の暗い千絵に戻っていった。
ある日の朝、千絵は眠い目をこすり、パジャマのままダイニングに降りていくと、パパとママはすでにパンを食べていた。この日、更なるショックな出来事が起こった。
「おはよう」
「昨日、彩子、帰ってきてないのよ。どこに行ったか知らない?」
「知らない」
そう言いながらも、千絵は内心、冷静ではなかった。きっと彼の家に泊まったんだ。
「もう私との関係は、修復できない状態になっているんだ」
そう思うと、より一層暗くなった。そんな千絵を気にすることなく、ママは忙しく動き回り、朝の支度をした。
「パン食べたら、悪いけど彩子の分のゴミも持ってきてくれる」
「はい」
千絵は眠さと、ショックで、食が進まなかった。
「早く食べなさい。学校遅れるわよ」
「はい」
眠い目で時計を一瞥して、我に返った。
「あ、急がないと」 手に持っているパンを口に加え、そのまま部屋に入りと、急いで着替えた。ゴミ箱を持ち、部屋を出ると、
「あ、そうだ彩子の分のゴミも持っていかないと」
彩子の部屋を空け、ゴミ箱を持って部屋を出た。
「急がないと」
あまり慌てていたので、つまずいて、ゴミ箱をひっくり返してしまった。
「あー、しまった」
散らかったゴミを急いでゴミ箱の中に入れると、何かが目に入り、動きが止まった。
「あれ!」
ある物に目がとまった。
「これ、授業料を入れていた封筒」
不思議なことに封筒は2枚あった。一瞬、疑問に思ったが、我に返った。
「あー、急がないと」
急いで階段を下り、玄関の前にゴミ箱を2個置くと。
「ママ、ここに置いとく」
「はい、行ってらっしゃい」
「行ってきます」
そう言うと、急いで出て行った。
登校中、松本と彩子が昨日、何していたか考えながら歩いていると、暗くなった。暗くなるばかりなので、もう考えるのはやめにした。
そして次ぎに脳裏をよぎったのは、彩子のゴミ箱にあった2枚の封筒。
「授業料、彩子が隠したの?まさか?」
彩子を疑いたくなかったが、そう疑わずにはいれない。
「でも封筒が2枚出たと言うことは、私の分のじゃない?」
「考えてみると、あの子が120万も持っているわけないし。でも何で隠したの?」
「もしかして松本さんを奪うために、しくんだ事なの。私が断れきれない状況にするために、しくんだんじゃない?」
校門まで続く1本道を歩き、教室に着くまで、さっきの事で頭がいっぱいだった。彼女を疑りたくないと言う気持ちと、疑問が晴れないと言う板挟みで、悩み、すっきりしないまま教室に着いた。
「彩子が来たら、問いつめてやる!」
考えたあげく答えが見つからないので、そこに解決策が収まった。教室につくと彼女を捜した。辺りをキョロキョロするが、まだ来ていないみたいだ。
「まだ来てないようね。来たら問いつめてやる」
少し切れていた。そのとき授業のベルが鳴った。授業のベルが鳴っても、彩子は姿を見せなかった。
「あれ遅刻する気!」
千絵は急に不安になってきた。
「いつまで2人で仲良くすれば気がすむのよ。授業くらい来なさいよ」
少し切れていたが、その日1日待ったが彩子は現れなかった。そのことで仲良くしている2人を想像し、居たたまれない気持ちになった。
千絵はベットに寝ころび、松本のことを考えていた。
「今頃、2人は仲良くしてるのよね」
あまりにも長い時間、2人が一緒にいるので、怒りが増長していった。
「千絵が帰って来たら、授業料の事問いつめてやる」
そう意気込んでいた。しかし彼女の方から、部屋に入って来た。
「コンコン」
ドアをノックする音がした。ドアを開くなり、彩子が泣きながら入って来た。
「千絵、ご免なさい」
千絵は上半身を起こした。あまりの意外な展開に驚いた。今まで仲良くしているのだと思っていたが、泣いて入って来たのに驚き、千絵の怒りは薄れ、問いつめる事を忘れていた。
「どうしたの?」
「私、松本さんと喧嘩してしまったの」
「えっ!」
と言いながら、千絵は心の中で喜んでいた。もしかしたらチャンスが戻ってきたのかもしれない。もともと松本は彩子より、千絵の方が好きだと言っていたのだから、当然なことだ。千絵は心配そうな顔をしていたが、心の中では喜んでいた。しかし彩子の口からは以外な言葉が飛び出した。
「今度、松本さんを遊園地に誘うから、あなた仲を取り持って欲しいの」
「えー!嫌よ」
彩子の厚かましさに大きい声が出てしまった。
「松本さんとデートがしたいんでしょ」
「したいけど、そう言う形のデートじゃないでしょ」
「頼んだわよ」
そう言うと、勢いよく部屋から出て行った。そして問いつめる事も忘れ、また心配事が増えた。そして、これは千絵にとって、もっとも辛い役回りとなったのは言うまでもない。
彩子は以前の彩子ではなかった。どんどん厚かましくなり、鬼のようになっていくような感じがした。
とうとう3人で遊園地に行く日が来た。千絵は本当は行きたくなかったが、彩子に強引に連れてこられた。車の前には松本と彩子が座り、後ろに千絵が座っていた。千絵は彩子を見て、少し前までは私が、そこに座っていたのにと思った。そう思いながら終始うつむいていた。
松本は彩子には見向きもせず、話しかけることもなかった。それが千絵にとって悲しく、辛いものになった。
「この前は、ご免なさい」
彩子が松本に謝った。
「大丈夫、あのときは眠かったから、ちょっとしたことでイラッときて。俺も大人げなかったよ」
2人は仲直りしていた。
「じゃー、私はもういいじゃない」
しかし、後ろで静かに座っていると、切り出すことも出来なかった。途中で車を降りるわけにも行かないし。
3人でジェットコースターの列を並んでいるときも、松本と彩子は楽しそうに話していたが、2人は千絵の方を見ることはなかったし、気遣う事もなかった。
「どうして千絵を呼んだんだ?」
「だって、この前喧嘩したから、気まずくなったらまずいと思って、呼んだのよ」
松本と彩子はコソコソ喋っていたが、千絵に丸聞こえだった。その言葉は悲しみを助長し、その場を逃げ出したい気持ちにさせた。逆に松本にとっては千絵が居る事で、気まずさを助長した感じとなった。千絵は気まずい雰囲気に居たたまれない気持ちになり、暗く、押し黙っていた。
松本と彩子はジェットコースターの前の席に座わり、千絵は後ろに座っていた。松本と彩子は楽しそうにはしゃいでいたが、千絵は全然楽しくなかった。急速度で突っ走るジェットコースターの中で彩子は叫んでいたが、千絵は静かに下を向いて、声を出せずに、恐怖を押し殺していた。
「ジェットコースター楽しかったね。次あれ乗ろ」
彩子が松本に言い、千絵は、その後ろを暗く黙って付いて行くしかなかった。楽しいはずの遊園地も、こういう形で来れば地獄になってしまう。近くにあるベンチに、崩れるように座った。ストレスと言う錘(おもり)につぶされていた。
彩子は後ろから付いてきてない千絵を見て、慌てて後ろに引き返した。
「大丈夫?」
彩子は初めて、温かい言葉をかけてくれた。
「ごめんね。仲直りできると思ってなかったから、千絵を呼んだんだけど。申し訳ない」
「ちょっと疲れたから座ってる。2人で好きなの乗ってきて」
「うん、判った」
そう言うと嬉しそうに松本の元へ走っていった。彩子にとっても千絵の事が少し重石に感じるようになっていた。自分が千絵を呼んだわけだが、仲直りした後では、重石以外のなにものでもない。こんなに簡単に仲直りできるとは思ってもいなかったのだ。
ベンチでポツンと1人で座っていると、段々悲しくなり、涙が出てきた。千絵の前を通る人は、みんな笑顔に溢れれているのに、遊園地で暗くなっているのは千絵だけだった。
「本当は、私と松本さんで来るはずだったのに」
仲がいいカップルを見ると涙が出てきた。そして2人の最初の出会いを思い出していた。
「お姉さん何か落としましたよ」
と言われ、ハンカチを受け取り、目と目が合い見つめ合った。
「あのときは最高に幸せだった。あのときは、あんなに優しかったのに。どうして私を避けるようになったんだろう」
彩子の嘘など知るよしもなかった。
「今度ディズニーランドに行こう」
と言ったパパの言葉を思い出して、また悲しくなってきた。久しぶりにパパの事が思い出された。幸せなときは思い出さないが、辛いときはパパの事を思い出してしまう。そしてなぜか遊園地の予定を立てると上手く行かなくなる。
彩子の声が近づいてきたとき、千絵は慌てて涙を拭いて、2人の事など気にしなかったように明るく振る舞った。
「あー、疲れた」
彩子は千絵の座っている横にドサッと腰掛けた。
「さっきの乗り物、速いから腰が抜けたよ。あ、そうそう」
と彩子は言いながら財布を捜した。
「千絵ちゃん、コーヒー3つ買ってきて」
「うん、いいよ」
無理に明るく振る舞った。お金を貰い、勢いよく走り出し、2人が見えない所に行くと、苦しさから泣いていた。
1ヶ月が経った頃、千絵は松本とのデートがないので、毎日帰りが早い。そして無気力になることが多かった。ボーと部屋の窓から外を覗いていると、松本と彩子が仲良さそうに腕を組んでいる姿が見えた。
「本当に遠い存在になってしまったのね」
ポツリと言いながら、涙が溢れてきた。
玄関が開くと、2人が入ってきた。ママが近づいてきて、驚いた表情を浮かべた。
「ママ紹介する、松本さん」
彩子は明るく紹介した。
「まー、あなたが男の人を連れてくるなんて珍しいわ。さー、上がってちょうだい。お茶でも入れるわ」
「あ、そうそう千絵ちゃんも呼ばないと」
ママはキッチンの方に向かおうとしたが、振り向いて言った。
「ママいいのよ2人にさせて」
「あ、そうね。ごめんなさい、気が利かなくて」
「後で部屋に、ケーキとお茶持ってきて」「はいはい」
彩子は自分の部屋に松本を案内し、少し照れた感じでケーキをホークで突き刺すと、松本の口にケーキを持っていった。 「松本さん、あーん」
そう言うと松本はケーキをパクッと食べた。
「今度、私にして」
その声は千絵の部屋にも漏れていた。千絵は床に座り込んで、耳を手で押さえ、聞こえないようにした。仲良さそうな声を聞くと、千絵は胸が張り裂けんばかりに苦しかった。
「でもこれで終わった訳じゃないんだ。勝手に諦める必要はないのよ。でも私は彩子のように積極的に出来ないから、あなたが、いつか私の下に戻ってくるまでは、私も彼氏を作らないし、いつでも戻ってくる準備をしているから、それまで待っているわ」
そう思うと、悲劇のヒロインのように思えてきて、勇気が湧いてきた。
「あなたが、もう一度、私に振り向いてくれるまで、ずっと、ずっと、いつまでも待っているわ」
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11へつづく |
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