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4
2人が三宮から、来た道を歩いて帰ってきて、芦屋に戻って来たときには、もう太陽は沈み、暗くなっていた。
「今日は、どこで寝るの?」
娘の質問にパパは答えなかった。もうすでに芦屋まで戻ってきていたが、泊まる所がない。
「今日は私、あの服着たから幸せな気分だよ」
千絵は帰る途中デパートのショーウインドのマネキンに綺麗な服が着せ飾られているのを見て、それを空想の中で着ていた事を言っている。
嬉しそうに微笑み、だいぶん歩いたが、疲れを感じてなかった。いつのまにか2人は六麓荘(ろくろくそう)辺りの高級住宅街に差し掛かっていた。千絵は一件の大きな家を見て喜んだ。
「こんな家に住めたらな。私が将来お金持ちになったら、こんな家に絶対住む」
千絵は羨(うらや)ましそうに家を眺め、夢だけは膨らんでいた。嬉しそうにしている娘を見て、パパも嬉しかった。
「パパ、門が開いているよ。ちょっとだけ中に入ってみようよ」
2mもあろうかという鉄の扉の奥には階段があり、階段を上ると広い庭になっていた。その中に千絵は黙って少し入ると、すぐ戻ってきた。
「ここで寝たって広すぎて、家の人は気づかないわ。今日は、ここで寝ようよ」
「人の家だぞ」
「これだけ広いんだから、公園みたいなもんよ」
千絵は嬉しそうに、パパの制止を気にすることなく、中に入っていった。広い庭を見ながら、千絵は頭の中で、さっきの服を着て、自分はここに住んでいる気持ちになり、お金持ちの気分になっていた。娘の喜ぶ顔を見て、パパはそれ以上とがめることが出来なかった。2人は木の陰に隠れて、寝ころんだ。寝ころぶと星がよく見えた。
「今日も、星が綺麗ね。公園で寝るのは怖いけど、ここなら安心ね。どういう人が住んでるのかな。私もこういう所で生まれたかった」
パパの方を見ると、パパは悲しそうだった。千絵はパパを悲しませたと思ったので、急いで否定した。
「でもパパのもとで生まれたから私、世界で一番幸せ」
まだ8時だというのに、歩き疲れたのか2人は自然に眠ってしまった。千絵の寝顔には幸せそうな笑みがこぼれていた。千絵はこういう状況でも、希望を持って、負けてなかった。パパと一緒に居る事で安心感と幸せを感じていたのだ。
深い眠りに入った頃、2人はまぶしさで目を覚ました。まぶしさの原因は懐中電灯の光だった。そこの家の主人と思われる人と、妻と娘が立っていた。
「何してるんですか?」
そこの主人は大きな声を出して怒っていた。その瞬間パパは正座をした。あまりの素早い行動に、3人は驚いた。パパは涙を浮かべ、謝った。
「ごめんなさい」
と頭を地面につけ、何度も何度も、謝った。それを見た主人は、悪い人ではないと思い、急に穏やか表情になった。パパはそれに安心したのか、お腹が鳴った。考えてみると、1日中歩いたのに、食事は少ししか食べてなかった。
「何か訳があるんでしょ。さー、中に入って、話を聞きましょう」
パパは嬉しさで涙がこぼれた。
家族3人の後に付いて家の中に入った。玄関を開けると、そこは20畳くらいある部屋で、手前がリビング、奥がダイニングになっている。更にその奥は仕切られていて、キッチンがあった。信じられない広さにパパと千絵は息をのんだ。
手前には大きなテレビ、革張りのソファーが置かれていて、絨毯は高級そうなのが敷かれ、天井には豪華なシャンデリアがぶら下がっていた。
「わー、綺麗な家」
千絵は、こんな家に上がれる事が嬉しかった。しかしパパは自分との境遇の違いに悲しくなってきた。
この屋敷の主人の名前は後藤和也で53歳。ママは後藤陽子で50歳。娘は千絵と同じ年で彩子だ。
5人はソファーに座った。玄関から向かって左側に後藤家の3人、右側に館林家の2人が座った。革張りのしっかりしたソファーは大きく3人が座っても、まだゆったりしていた。真ん中にテーブルを挟んで、館林家の事情を聞くことになった。パパは今までの事情を、包み隠さず説明した。借金を背負い、マンションを売り、ママが死んで、アパートを出た事、昨日は公園で寝た事を話しした。
「そんな、ご苦労があったんですか!」
後藤和也はそんな苦労をした人が世の中に居る事を知り驚愕した。
「大変だったんですね。泊まる所無いんでしょ。暫くここで暮らしたらどうですか?」
「有難うございます」
パパは、こんな親切な人が世の中にいるのかと思い泣き出し、ソファーをおり土下座をし、頭を床につけお礼を言った。それは心の底から出たものだった。
「頭を上げて下さい」
和也は、そこまでしてくれたことに恐縮した。
「今日、泊まる所が無かったんです。今日どころか明日も、明後日もありません。こんな親切にして貰えるとは思っても居なかったです。私たちは警察に通報されても仕方ないことをしたのに、それをこんなにも親切にして下さって有難うございます」
「そんなことよりも、お腹空いてるんでしょ。さっきお腹なってたから」
そう言われると、パパは恥ずかしそうな顔をした。
「こちらのテーブルに、どうぞ」
ダイニングテーブルも立派なものだった。後藤家のママは、豪華な食事をお盆に載せて運んできて、テーブルに置いた。
「さー、食べて下さい」
「わー、美味しそう」
千絵は目を輝かせて、喜んだ。そのときお腹が鳴り、恥ずかしそうにした。無邪気に喜んでいる娘とは裏腹に、パパは恐縮しきっていた。
「有難うございます」
「どうぞ食べて下さい」
「頂きます。こんなご馳走食べれるなんて、夢のよう」
千絵は喜んで、がつがつ食べ始めた。
「ゆっくり食べなさい」
パパは遠慮しない娘に恐縮し、叱った。
「いいんですよ、好きなだけ食べて下さい。まだおかわりありますから」
娘はパパと居るとき食べれなくてもいいと言っていたが、本当はすごくお腹が空いていたのだ。千絵が、がつがつ食べる姿を見て、パパはこの年で気を遣ってくれていた娘に対して、涙が出そうになった。
「千絵ちゃんも大変だったね。いろいろな事が重なって」
千絵は思い出すと悲しくなるので、パパの前で悲しそうにするのを控えた。
「私、パパがいるから大丈夫」
そう言って元気にパパを励ました。このときはパパは千絵の方が大人に感じた。
「ごちそうさま」
千絵は、お腹が空いていたので猛スピードで料理を食べた。そしてすごく満足した顔を見せた。
「あなた何歳?」
彩子が聞いた。
「11歳」
「あ!私と同じ年だ。後で私の部屋に来ない、一緒に遊ぼ」
「いいの?!」
千絵は目を輝かせて喜んだが、家も大きく、11歳だと言うのに、自分の部屋があるのが羨ましかった。
「娘の隣の部屋が空いているから、今日はそこで寝て頂戴」
「有難うございます」
後藤家のママの発言に、パパは恐縮しどうしだ。その後、ママに連れられて、パパと千絵は2階に上がった。
さっきまでいた20畳くらいあるリビング、ダイニングは吹き抜けになっていて、2階の廊下からはよく見えた。2階には4つの部屋が縦に並んでいて、階段は両端に付いている。その両端の階段を結ぶように廊下が繋がり、4つの部屋の扉が並んでいる。その一番玄関よりの部屋に招いてくれた。
隣の部屋が彩子の部屋になっていて、後の2つは誰も使っていない。4つの部屋の下には16畳の和室が2部屋あり、片方は夫婦の寝室になっていて、1部屋は空いている。部屋数は多いが、半分は客間として利用し、普段は使われてない。
2人が招かれた部屋は8畳ほどの広さで、キングベットが1つ置いてあった。ふかふかのベットを見て、千絵は喜んだ。
「こんなベット初めて」
「ここ2人で使って頂戴」
「えー、ここで寝ていいんですか?」
「いいのよ。ごゆっくりどうぞ」
ママは笑い、部屋を出て行った。
「パパ、やったー」
千絵は満面の笑みを浮かべ、ベットで飛び跳ねた。
「やめなさい」
「捨てる神がいれば、拾う神もいるのね」
「でもいつまでも、ここでお世話になれないぞ」
しかし千絵は気にせず、明るかった。暫くすると、千絵は嬉しそうに言った。
「私、隣の部屋行ってみる」
そして隣の部屋をノックした。豪華な料理、広い家に居る事など千絵にとっては新しいことだらけで、ワクワクしどうしだった。
「どうぞ」
千絵は彩子の部屋に入り興味津々だ。目に付くもの、全てが面白い。
「こんな広い家に住めていいね」
「生まれたときから、ここに住んでいるから判らない」
千絵の興奮とは裏腹に、彩子はあっけらかんと言った。
「わー、ぬいぐるみが沢山ある。いいな」
「1つ上げるよ」 「えー、いいの?!」
千絵は目を輝かせた。そしてクローゼットに20着くらいの服が架かっているのが目に入った。
「服も沢山あるのね。羨ましいな。私も、こういう家で住みたいな」
「一緒に住もうよ。これからもずっと」
大人の事情など分からない、素直な子供の気持ちだった。
「えっ!」
「私、一人っ子なので寂しかったのよ。だから兄弟が欲しかったの」
「一緒に住めたら、どんなに楽しいか。わー、夢のようだわ」
千絵は信じれない言葉に、目を輝かせていた。
「私、後でパパに言っとくよ。千絵ちゃんと、いつまでも一緒に住めるようにって」
千絵はママを失い、マンションを失ったが、何か得る物を、ずっしり感じる事が出来た。
豪邸暮らしも3日が過ぎ、パパはその日、会社に行き、遅くなっても帰ってこなかった。そのとき千絵と彩子はリビングのソファーに座って、ゲームに夢中になっている。
「やったー、私の勝ちよ」
2人は本当に楽しそうに遊んでいた。子供が仲良くなるのに時間はかからなかった。そこへママが神妙そうな顔で近づいてきた。
「さっき、千絵ちゃんの部屋のお布団を綺麗にしにいったら、部屋に手紙が置いてあったのよ」
「手紙?」
封筒の表には「後藤様へ」と書かれていた。
「パパからよ」
「パパから?」
その言葉に千絵は不思議そうな表情を浮かべた。そしてママは声に出して手紙を読んだ。
「本当に親切にしていただき有難うございました。こんなに親切にしてくれる人が世の中にいるとは、驚きました。しかし、いつまでも甘える訳には行きません。いつか出て行かないと行けない日が来ます。しかし娘を連れて放浪するわけにはいきません。厚かましいと思うのですが、娘をお願いします。いつか成功して迎えに来るときまで、どうかお願いします」
千絵の表情からは、さっきまでの楽しい表情は消え、引きつった表情に変わっていた。泣きそうな表情に変わったかと思うと、慌てて玄関を飛び出していった。その後を追うように、ママと彩子が追っかけた。
外灯がともる坂を勢いよく走り降りた。
「パパ、パパ」
と叫び、ママを亡くしたときの悲しみが蘇ってきた。ママが居なくなり、パパまで居なくなることなんて予想してなかったので辛い。そして3人で暮らしていた頃の幸せな生活が蘇ってきた。旅行に行ったり、映画に行ったり、食事に行ったりと幸せな生活を送っていたのに、そのときは、まさかこんな生活が待っているとは夢にも思っていなかった。
「パパ、パパ」
泣き叫びながら、高級住宅がある坂を下っていった。辺りは真っ暗で、パパらしい人などいないのだ。それどころか、人1人歩いてない。
泣きながら、勢いよく坂を下り、キョロキョロしたが人は見あたらない。11歳の子供に両親が相次いでいなくなることは、相当に辛い試練だった。出来るなら夢であって欲しいし、出来るならパパに戻ってきて欲しかった。だから必死の形相で、パパを捜した。しかし勢いよく走ったのと、涙で前が見えないのとで、足がもつれた。
「わー!」
千絵が叫んだ瞬間、目に映る風景が180度回転した。道に倒れた瞬間、そのまま坂を転がり落ちた。
「わー!誰か、助けて」
止まらず恐怖で顔が真っ青になった。このまま車が来たら、ひかれて死んでしまう。その恐怖を感じた。夜、坂とカーブの多い所では、子供が転がっていてもドライバーには見えない。
「誰か止めて、怖い」
転がった勢いは加速していった。涙の顔は、恐怖の顔に変わっていた。そのときはパパの事より、死への恐怖を感じていた。
「千絵ちゃん」
後ろからママと彩子が、心配で追っかけて来た。しかし千絵が坂を転がり落ちていることには気づいて無かった。
50m転がった所で、やっと止まった。顔は泣き腫れ、服は破れ、手や足はすりむき、あざを作り、痛いたげに血が出ていた。恐怖で顔が引きつり、悲しみと、情けなさで、転がったままの状態で、道にうずくまったまま立ち上げる事が出来ない。
「私もこのまま死にたい。このままここに居ると死ねるかもしれない。ママが居なくなり、どうしてパパまで居なくならないといけないの。あの家に戻っても、私1人じゃ寂しいよ。私を殺してママの所まで連れて行って」
道路にうずくまったまま、大泣きしていた。
ママと彩子は坂を下り、うずくまっている千絵を発見すると、慌てて駆け寄ってきた。悲しそうにうずくまり、服はぼろぼろで、すりむいているのが見えた。11歳の少女が、悲惨な人生を送っていることにママも彩子も、泣かずにいれなかった。
「パパは、いつかまた戻ってくるわ。成功して、千絵ちゃんを迎えに来るわ」
ママは泣きながら、千絵を慰めた。
「ここの家で暮らしていると、パパはいつでも迎えに来てくれるわ。それまでは、一緒に暮らしましょ」
「そうしようよ」
うずくまって立ち上がらない千絵を見て、彩子も泣きながら言った。彩子も千絵の気持ちが十分分かった。同じ年なのに、ママもパパも亡くした辛さは痛いほど判ったのだ。自分がもし同じ立場なら、辛すぎる、耐えれないと思った。
彩子は涙を拭きながら、千絵を抱きしめた。そしてお互い、思いっきり泣いた。2人は千絵を慰め、うずくまっている千絵を支えるようにして家に連れて帰った。
3人がテーブルに着くと、ママは食事を運んできた。豪華な食事が並んでいるのに、千絵は下を向いて食べようとしない。目は涙で腫れていた。それを見た、彩子も食欲が出ない。同じ年だと言うだけあって、一番千絵の気持ちが分かるのだ。
「叔母ちゃんのこと、ママと呼んでもいいのよ」
ママは優しく微笑んだが、千絵は下を向き返事をしなかった。
「さー、食べて。お腹空いてるでしょ。いつまでもここに住んでいいのよ」
3日前、その言葉を言われたときは嬉しかったが、今は状況が変わっていた。いくら豪邸に住もうが、パパのいない人生など幸せではない。安アパートでもいいから、パパと一緒に暮らしたかった。
千絵は、これを境に暗くなっていった。いくら明るかった千絵でも、こう立て続けに起きる災難に対して心を修復する方が追いつかなかった。そして明るかった頃とは別人のように、変わっていった。
食事も食べないまま、ベットに入ると、布団を頭からかぶり、泣きじゃくった。
「パパ、どこ行ったの。何で私を見捨てたの。どうして出て行くことを言ってくれなかったの。ママが死んで、パパまでも出て行った。私はどうして生きていけばいいの。パパは、どんなことがあっても私を守るって言ったじゃない」
そう言いながら、パパに貰ったペンダントの事を思い出し、ポケットから取り出した。そして、そのペンダントを強く握りしめていた。
「あの時、私がここの家の庭で寝ようって言ってなかったら、こんな事にはならなかったかもしれない」
自分のしたことに対して後悔し、自分を責め続けた。目を腫らし、いつの間にか眠りについていた。
1ヶ月が経ち、いつまでも泣いてばかりいるわけには行かない。千絵は、すっかり豪邸に暮らしに溶け込んでいた。
ママがテーブルに、2人分のケーキを皿に載せ、ホークを横に添えると、階段の下から、叫んだ。
「2人とも降りてきなさき。ケーキよ」
ママの声を聞くと勢いよく2人の部屋のドアが同時に開いた。2人は顔を見合わせて、笑顔を見せた。2人は姉妹のように仲良くなり、家族とも溶け込み、豪邸暮らしを楽しんでいた。広い家に、広い部屋、毎食のご馳走や、毎日のおやつ、楽しいことだらけだ。
「わー、美味しそう」
2人はテーブルに着くなり、一斉に食べ出した。
「もっと落ち着いて、食べなさい」
ママはキッチンから出てきて、紅茶をテーブルに置いて、すぐに出て行った。
「千絵は、誰が好きなの?」
彩子はひそひそ話になった。
「誰が好きって?」
「男の子よ」
「私、男の子には、まだ興味ないわ」
ケーキを食べ終わると、またゲームをして遊んだ。一人っ子の彩子にとっては、千絵が来たことは嬉しい事だった。そして千絵も暫くの間は明るさを取り戻し、楽しく暮らしていた。しかし、それも小学生の頃だけだった。大人になるに従い、現実を理解するに従い遠慮がちになっていった。そして千絵の辛い人生は、まだ始まったばかりだった。
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5へつづく |
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