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 この日は雨が激しく降っていて、パパは遅くなっても帰ってこなかった。まさにこの日、このとき、不幸の警笛が鳴ったのだ。そしてこれは、単なる序奏に過ぎなかった。

 夜もふけて、パパはいつになく帰りが遅い。雨も降っているし、ママも千絵も心配になってきた。

「パパ遅いね」

 ママは言った。千絵も心配そうにしている。そのとき、

「ピカッ」

 稲光が光り、少し遅れて雷が鳴った。

「ママ、怖い」

 千絵は耳を両手でふさぎ、床にうずくまった。窓から見える外の景色は真っ暗だった。

「パパ、大丈夫かな?」

 そのときドアの開く音がした。

「あ、パパだ!」

 千絵が玄関の方に喜んで迎えに行くと、パパは黒い雨合羽に包まれ、雨の滴を垂らしながら部屋に入って来た。息を切らせながら、首をもたげていて、様子が、どこかおかしい事にママも千絵も気づいた。

「どうしたの?」

 パパは、それには答えなかった。雨合羽に隠されて表情は判らないが、雨合羽を脱ごうとせず絨毯をびちょびちょにしているのに気づかない事に、何か大変なことがあったのは確かだ。

「大変だ。もう終わりだ!」

 初めてパパは声を発した。ママは予想はしていたが、パパの悲痛な叫びに、恐怖を感じた。

「どうしたの、パパ!」

 ママは少し心配した表情を浮かべ、パパの顔を覗き込んだ。

「田中が失踪したんだ」

「あら田中さんとこ大変」

「大変なのは田中だけじゃないんだ。うちも大変なんだよ!」

 パパは、せっぱ詰まっている感じがした。

「どうして?」

 しかしママは意味が分からないので、あっけらかんとしていた。

「あいつの保証人になってるんだ」

「えー!そんな話聞いてないわ?!保証人になっているという事は、うちが支払わないと行けないの?この家のローンもまだ終わってないのよ。どうやって返すのよ」

 ママは血相を変えた。

 そのとき閃光と共に雷が大きく鳴り、稲光が黒い合羽を着たパパを浮かびあがらせた。
「キャー、怖い」


 千絵がそばで黙って聞いていて恐怖を感じないわけは無かった。小さいながらも大変な事が起こったのは判ったし、パパのこんなに困惑した態度を見たのは初めてだったので、取り返しの付かないことが起こったと言うのは想像が付いた。

「もう、この家も売らないと行けない」

 パパは無表情で、うなだれたまま言った。

「田中さんの借金いくらあるの?」

 ママは金額を聞いて少なければ、まだ胸をなで下ろせると、恐る恐る聞いてみた。

「5000万だよ。あいつの工場が潰れてしまったんだよ」

  ママは腰を抜かさんばかりに驚いた。そして取り返しのつかない事が起きたと言う事を理解した。

「もうダメだ。これからどうやって生きていっていいか判らない」

 娘の顔までもが恐怖でこわばっていた。

「私、もう学校、行けないの?」

 千絵は不安そうな表情を浮かべた。パパは千絵にまで迷惑掛けたと思い、黙り込んでしまった。

 パパが座っていた所は雨水で濡れていた。この日の夜は、雨と雷が止む事はなかった。

 

 暫くすると家族はマンションを売り、安アパートに住むことになった。あの日の、この一件で、千絵の人生はどん底へ落ちてしまったのだ。輝いていた瞳に、陰りが見え始めたが、それでへこたれるような子ではなかった。家族が心配しないように明るく振る舞っていた。しかし、その努力もむなしいものとなっていった。不幸はこの一件では終わらなかったのだ。

 

 アパートを幸い1万で借りることが出来た。

しかしワンルームでキッチンが付いているが、所々壁ははがれ、カビ臭く、いつも湿気ている。窓などなく、倉庫のような部屋だった。

「少し傷んでるけど、安く借りれたな」

 引っ越した日、パパは穏やかな表情に変わっていた。それを見てママも千絵も、もとの穏やかな表情に戻っていた。

「毎月少しずつでも多く返済していけば、いつかは元の生活に戻れるかもしれないわ。私もパートに出て頑張るわ」

 ママは笑顔で言った。

「うん」

 千絵も嬉しそうに返事をした。ママも千絵も、いつかもとの生活に戻れると思い、今の苦しい生活を我慢した。出来るだけ生活費をきりつめ、足りない分を補うようにしてパパは遅くまで仕事をするようになり、だんだん帰る時間が遅くなってきた。ママも少しだがパートで働くようになった。それにつれ千絵は寂しくなり孤独を感じるようになってきた。しかし、千絵はいつか、前のような幸せな生活が戻ってくると思い、堪え忍んだ。

 前、住んでいた家具などは全て借金の肩代わりとして売り、食事の時に3人が使っている丸テーブルはゴミ置き場から拾ってきたもので、部屋の中には、家具は全くない。茶碗、箸、コップが3つずつあるだけだ。

 この日の夕食は魚とご飯、みそ汁があるだけだ。パパはまだ帰ってなく2人だけの寂しい食事だった。

「でも私は幸せだよ。こうやってパパとママと一緒に暮らせるから」

 千絵はめげない強い子だった。

「食べるだけでも幸ね。一時はどうなる事だと思ったけど、借金返したら、また元の生活に戻れるよ」

 ママと千絵は見つめ合い、微笑んだ。

 しかしこれから始まる不幸の生活は、こんなものではなかった。幸いにも恵まれていたのは、家族がみんな明るかったことだ。不幸にもめげずに頑張ったのだ。

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3へつづく