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第四章 解放

 

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 恭子は目を覚ましても、まだ昨日のことが癒されてなかった。お腹が鳴り、昨日朝食しか食べてないことに気づいた。泣いてばかりで食欲も湧かなかったのだ。気持ちがすっきりしないまま朝食を食べに行った。いつもの喫茶店に入り、何を食べようか迷ったあと、フレンチトーストにした。これが思いのほか美味しかったので、気持ちが少し癒された。

 フレンチトーストは卵、砂糖、生クリーム以外にオレンジリキュールやオレンジの皮をすったのを入れて作った液に食パンをつけて作る。生クリームを使うのは牛乳より酷があるためだ。食パンは2枚を斜めに半分に切る。バットに作った液を広げ、そこに食パンの両面に液をつける。決して長時間つけ込むようなことはしない。それを両面狐色になるまでフライパンで焼いた後は、オーブントースターで焼く。皿にフレンチトーストを盛り、上から粉砂糖を真っ白になるまで振りかけられている。横にはブルーベリージャムが添えられていた。ウエイトレスがフレンチトーストの皿を持ってきてくれたとき、横に蜂蜜も一緒に置いてくれた。

 フレンチトーストはふわふわとして、真っ白に粉砂糖が振りかけられているのを見て、恭子は興奮した。

「美味しいそう」

 目を輝かした。何時間ぶりかの笑顔だ。ナイフでフレンチトーストを切ると、ナイフからふわふわした感触が伝わってくる。口に入れた瞬間、溶けそうな感じだ。口の中でふわふわし、粉砂糖の甘さが口の中一杯に伝わってきた。恭子は夢中になって食べた。中はフワフワなのに、ミミはサクサクしている。更にフレンチトーストの上にブルーベリージャムを載せ、ナイフでパンを折り畳み、ホークで口まで運んだ。

「うん。幸せ」

 小さく叫び、笑顔が広がった。1枚はジャムを付けて食べたが、残ったもう1枚には蜂蜜をかけた。やっぱり美味しい。恭子はいっぺんに、ここのフレンチトーストのファンになってしまった。昨日泣いていたのが嘘のように、あっさりと平らげてしまった。紅茶を喉に流し込むと、満足で、幸せ一杯になった。

 

 店を出て、エレベーターで上がるとき昨日のことが思い出され、部屋に帰りたくない気持ちだった。ガーデンヒルズにでも行こうかな。そう考えていると、

「温泉に行こう。久しぶりに行ってみたい」

 自分でも良い考えが浮かび、興奮した。ここの病院に来て、楽しいことばかりで、ストレスも感じず過ごしていたのに、昨日は悩んで、泣いてばかりだった。でも楽しみ、癒されるのが、この病院の本来の過ごし方だと感じた。

 前に入ったのは3月。今はもうすぐ6月になろうとしている。前のような寒さはなく、少し暑いくらいだ。また暑いときの温泉もいいものだと感じた。そう思うと、行動は速かった。

 露天風呂に浸かっているときは、昨日のことを忘れることが出来た。この前、来たときは露天風呂しか入らなかったが、他にいろんな風呂があり、体を洗うところもあることに気づいた。檜(ひのき)風呂、中国風の風呂、ローマ風呂、インド風の風呂などがあった。

「香りがいいね。落ち着くね」

 恭子は檜風呂に入りながら、檜の香りを嗅いだ。全てのお風呂に入った後は、締めくくりに露天風呂にもう一度入った。

 岩から流れる滝、下から沸き上がる湯気を見ていると情緒を感じ、昨日の悩みはすっかり消え去ることが出来た。その場の風情にひたっていると、神からとんでもない贈り物を貰うことになる。恭子が上を眺めていると、雨が降ってきた。霧雨だ。雨の粒が細かく、シャワーを浴びているようで気持ちよさを感じる。この前入ったときは雪が降り、今度は雨が降ってきた。自分は何て幸運なんだと思った。これで昨日の悲しみは0になったような感じがした。

「聡のことは諦めよう」

 恭子は1日で、そこまで成長していた。幸せとは本来、こういうものではないか。欲を出せば、幸せは逃げていく。温泉に浸かっているだけでも幸せを感じることは出来るのだ。そして雨の温泉を楽しんだ。雨のシャワーに打たれている感じがし、舌を出し舌の上で雨の粒を転がした。暫くすると雨はやんだ。恭子は何度も何度も幸せを噛みしめた。

「私はこういう幸せの方が好きだ」

 そう考え、楽しい気持ちのまま風呂を上がった。

 恭子は更衣室に入り、タオルで濡れた体を拭いた。温泉で幸せを感じたといっても病室に戻るとなるなると現実に戻され、次第に悲しい気持ちになってきた。その悲しい気持ちは、後を引きずり、エレベーターの中でも暗い気持ちになっていた。そして病室に戻るときに、更に悲しい気持ちになった。

 

 部屋の前まで戻ってきたとき、隣の患者が、奥さんに支えられて部屋にはいる姿が見えた。恭子は慌てて、階段の陰に隠れ、ジーと2人の様子を眺めた。ここで初めて末期癌の隣の患者を見た。旦那は足を引きずりながら、支え無しでは歩くことが出来ず、顔に生気が無く、背中も元気がない。支えている奥さんにも、元気が無く、希望がないのか、顔に生気が無く、背中が丸まっていた。

 その様子を見ていた恭子は、涙があふれ出しそうなのを、グッとこらえて見ていた。看護婦の「長くて3ヶ月」と言う言葉を思い出した瞬間、恭子の目からは涙があふれ出してきた。

「もう治らないんだ」

 恭子は泣き崩れ、床に座り込み、前が見えないくらい涙が溢れ、肩が震えた。

「何とかしてあげたい。何とかならないのかな」

 そう思ったが、自分には、どうすることも出来ない。

「どうして神様は助けてくれないの?」

 階段の陰に座り込み、背中を丸め、髪は乱れた状態で、泣きじゃくっていた。2人は、とっくに部屋に入っていたが、2人の悲しい背中は、いつまでも残像として脳裏に残った。

 恭子は、涙を拭きながら、ゆっくり立ち上がった。どこかで思いっきり泣きたい気持ちになったので、屋上のシーガーデンに行って、暫く泣いた。シーガーデンには誰もいず、静かで、燦々とさす太陽の光で気持ちがいい。少し泣くと気は済み、ボーと神戸の海を眺め、ボーと空を見、雲が動く様子をジーと眺めていた。雲を見ていると、心も澄み渡っていくのが判った。広い空を見ていると、心も広い気持ちになっていく。30分くらい、ボーとしていると気持ちも楽になってきた。焦って部屋に戻る必要もないので、1時間ほどボーと神戸の海と、空の雲を眺めていた。その頃には気持ちもすっかり晴れていた。

 そして病室に戻ることにした。しかし自分の病室では、驚くべきことが起きていたのだ。

 

 部屋の大きいドアを引くと、朝出たときと様子が変わっていて、ビックリした。至る所にバラの花束が置いてある。廊下からバラが敷かれ、真っ赤な絨毯になっていた。部屋を間違えたと思い、一端外に出、部屋の名札を調べたが、間違えていなかった。バラを踏んでしまうのではないかと部屋の中に入ることにためらったが、バラを踏まないように気を付けながら歩いた。部屋の中は更に真っ赤になっていた。絨毯の上からテーブルの上、ベットの上、窓枠といたる所にバラが置かれていて、数十本のバラの束が、100束以上あり部屋が真っ赤に染まっていた。

「こんなに沢山のバラを見たの初めて!」

 そして100束以上のバラの花が一斉に高貴な香りを漂わせ、恭子の鼻孔をくすぐった。香りにはいろんな香りがあり、ミントなどは爽快感を与えてくれるが、バラの香りは幸福感を与えてくれる。しかし大量のバラともなれば、少し匂いがきつくなる。

「何、これ?」

 誰がこんな事をしたのか、彼がしてくれたのか不思議に思いながら思案した。別れた彼がこんなことをするはずがない。いろんな疑問が脳裏を駆けめぐっていると、机の上に手紙が置いてあることに気づき、その手紙をゆっくり開けてみた。

「どうして正直に言ってくれなかったの?全ては看護婦さんに聞いたぞ。俺が病気のことを知って嫌うとでも思ったのか?それどころか俺は何時までも恭子の味方でいたい。苦しくなれば胸をさすってあげ、死ぬかもしれないと言うなら励ましてあげる。苦しみも、幸せも一緒に分かちあいたい。俺は何も出来ないが勇気を与えるくらいは出来る。恭子を愛する気持ちも人一倍だ。絶対に恭子は死なせない。また前のようにつき合って欲しい。俺は恭子に会えたことに感謝している。

 P.S 怒って別れようと言った事は許して欲しい」

 恭子はこの手紙を読んで涙が止まらなかった。部屋にあるバラの花束の香りと共に、幸せを感じた。

 早速、彼に電話してみた。携帯の番号を押しながらも、涙で指は震えたが携帯が繋がった瞬間、恭子はホッとした。涙で声にならない。何を言っているか判らない。

「恭子か?」

 聡は興奮していた。

「手紙読んでくれた?」

 恭子は涙で声が出ない。

「今から行ってもいいか?」

「うん」

 恭子は感激して泣いた。電話を切ると、ベットにうずくまり泣いた。そしてバラの香りが幸福感を誘ってくれた。

 

 ベットにうずくまっていると、看護婦が入ってきて、廊下のバラを束ねて通路を確保しながら中に入ってきた。部屋の中まで入ってくると恭子に気づいた。

「恭子ちゃん居なかったので、バラは部屋に運んだわ」

 看護婦は優しい顔で、優しく言った。

「お姉さんありがとう」

 恭子は仲をとりもってくれた看護婦に感謝し、花束を持っている看護婦に抱きついて泣いた。看護婦は手に持っていたバラを床に置き、恭子を抱きしめた。

「恭子ちゃんが悲しんでいたら、誰でも何とかしたくなるわ。私は当たり前のことをしただけなのよ」

 看護婦の優しさに触れて、恭子は更に泣き出した。声を出すが、嗚咽で声にならない。

「恭子ちゃんはいつも泣いているのね」

「この病院に来て私は幸せ。お姉さんのことも大好き」

「私も大好きよ」

「いつも私の支えになってくれてありがとう。お姉さんには感謝してます」

「うん。私は大したこと出来なくてごめんなさい。恭子ちゃんの話し相手にしかなれなくって」

「うんうん」

 恭子は横に激しく頭を降った。

「私の胸でよければ、思いっきり泣いてね」

 恭子は看護婦にしがみついて、思いっきり泣いた。

 そこへ聡が入ってきた。

「ほら、彼氏よ。邪魔者は帰るから。早く病気治すのよ」

「はい」

 恭子は涙を拭きながら、看護婦を見送った。看護婦が帰るとき、聡は看護婦に頭を下げた。

 

「看護婦さんいい人ね」

 泣いている恭子に言い、恭子を抱きしめた。

「迷惑かけたな」

「私こそ」

「うん、俺が判ってあげればよかったんだけど、まだ子供だから気づかなかったよ」

 そして暫く沈黙が続いた。

「この前言っていた難病のことは本当だったんだな」

「うん」

 恭子は嘘をついたことに後ろめたさを感じ、うつむいた。

「どうして隠したり、嘘をついたんだ」

「本当のことを言うと、聡君が離れると思ったから」

 恭子は涙を拭きながら言った。

「お前がどんな病気だろうと、俺は別れたりしないよ」

「でも私、夏までは生きれないと思う」

「そんなこと言うなよ。看護婦さんも、そんなこと無いって言ってたよ」

「それは事実なの」

 恭子は頑として考えを曲げなかった。母が父に言っていた言葉が今でも胸に刺さっていたのだ。

 

「こんにちは」

 2人で座って話していると、医院長先生が入ってきた。

「お久しぶりです」

 聡は挨拶した。

「恭子ちゃん、調子はどう?」

「調子はいいみたい」

「心配したぞ。豊田から聞いたんだが、彼と別れて泣いてばかりだったって」

 恭子と聡は恥ずかしそうな顔をした。

「でも、仲直りしてよかったよ。豊田もすごく心配してて、駆けずり回っていたいたから」

「あ、そうそう、これありがとう」

 と、聡は指にはめている指輪を恭子に見せた。

「なに、それ?」

 恭子は不思議そうに言った。

「恭子が仲直りに、これプレゼントしたいって、看護婦さんが持ってきてくれたの」

「私、知らない?」

 恭子が身に覚えのない指輪にキョトンとしていると、医院長先生が助け船を出した。

「それは豊田が買って、聡君の家まで持っていったんだよ」

 医院長先生の言葉に、2人は全てを把握した。看護婦さんは2人が仲直りするように、駆けずり回ってくれていたことを。裏でそんなに頑張ってくれていたことに恭子は泣けてきた。

「このバラの花束も豊田が買ってきたんじゃない?」

 その言葉を聞いて一番驚いたのは、恭子だった。これは聡君が買ってくれたのだと思い込んでいたいからだ。同じように聡も驚いた。

「俺も部屋に入った瞬間、不思議に思っていたんだ。誰が買ったんだろうと」

「豊田は珍しく、みんなにお金を借りていたから、きっとそうだろう」

 聡が知らないと言うなら、看護婦が買ったことは疑う余地がないだろう。

「お姉さんに、お礼言っといてください」

 恭子は看護婦さんの奥ゆかしさに驚かされると共に感謝し、また泣けてきた。この借りはいつか返さないといけないと心に誓った。

「どうだね。仲直りもしたことだし、今日は2人でキャンプしてみてはどうだ」

「キャンプ?」

 聡は疑問をそのまま言葉にした。

「君らも行ったことあると思うがグリーンヒルズにコテージがあるんだ」

「この前行ったときは気づかなかったです」

「ずーと東の方に行くとあるんだ。食材は買わないといけないけど、かまどや炭はあるから、自由に使ってくれていいよ。後でコテージの鍵渡すから使って」

「俺は行きたいけど、恭子は行くか?」

「当たり前でしょ、私も行きたいわ」

 昔のように笑顔の可愛い恭子に戻っていた。

「じゃー、俺は食材買ってくるから、恭子鍵貰ってて」

「うん、わかった」

 恭子は最高の笑顔で答えた。

 

 夕日が西の空に沈む頃、2人はグリーンヒルズを歩いていた。

「この前、来たのはこの辺ね」

 恭子は嬉しそうに芝生の上を歩いた。

「ほんとキャンプ場て感じね」

「俺が前行ったキャンプ場も、こんな感じだったよ」

「あれ、コテージじゃない?」

 恭子は遠くの方を指さした。近付くとログハウスタイプのコテージが4棟ある。聡は鍵を開けた。入ると、そこは14畳の1DLK。更にその奥はトイレ、風呂、寝室となっていてる。

「わー、素敵」

 恭子も聡も興奮していた。リビングの上は吹き抜けで、階段を上がると2階に1部屋ある。2人は一通り部屋の中を見ると出ていった。

 

「ここが、かまどだ」

 かまどはコテージの前に有った。

「何、買ってきたの?」

 恭子は嬉しそうに聞いた。

「まず炭に火を付けよう」

 聡は言った。聡は前にキャンプでバーベキューをしたことがあり、そのとき火を付けるのに手こずった経験がある。そのときの失敗がいい経験になり、今回は難なく火を付けることが出来た。

「早く焼こうよ」

 恭子は嬉しそうだった。

「その前に野菜を切らないと」

 2人で人参、玉葱、ピーマン、サツマイモなどを切った。

「その切り方大きいぞ」

「いいのよこれくらい大きい方が」

 一通り野菜を切ると、備長炭の火も落ち着いていたので、肉を焼き始めた。

「牛肉だから、少し赤い内が柔らかくて美味しいから」

 2人は焼く横から食べていった。

「それは赤すぎるぞ」

「そうなの?」

 恭子は食べようとしたのを、また戻して焼き直した。

「野菜も焼こうよ。他に何買ってきたの?」

 恭子はスーパーの袋の中を覗き込んだ。

「貝が有るじゃない。これも焼こ」

 網の上は貝、エビ、イカ、野菜で一杯になった。

「美味しいね」

 外で食べているのか食が進む。焼くのがおいつかないくらいだ。最後はどさっと食材を載せて焼いて食べた。2人で食事を楽しんでいると、すっかり辺りは暗くなっていた。

「もうお腹一杯」

「焼きそばが残ってるんだけど、もう無理かな」

「焼きそばは別腹だから食べれるよ」

 恭子はすねた口調で言った。

「焼きそばが別腹って初めて聞いたよ」

「いいの。こう言うところでは焼きそばは別腹なの」

 そう言うと2人は笑った。

 

「アー、もう食べれない」

 2人は満腹を訴え、芝生に寝転がった。すでに太陽は沈み、星が見えていた。

「星が綺麗ね」

「もし神様が願いを1つ叶えてあげると言ったら、何を叶えて貰う?」

 星を見ながら聡はロマンチックな気分になった。

「聡と結婚したい。それが一番の願い」

 さわやかな風が吹き、満腹感が眠気を誘った。

「このまま眠りたいね」

「せっかくコテージがあるのに、ここで寝るの?」

「少しだけよ」

 風薫る季節の風が新緑の香りを運んでくれ、2人は自然の中で眠りに就いた。

 30分くらい寝たのか、どちらとも無く目を覚ました。

「少し歩いてみようか」

 聡が言いだした。

「うん」

 恭子は幸せそうに返事をした。芝を踏みしめながら、星の下を、2人は手を繋いで、楽しそうに歩いた。

「なんか、ここ病院って感じがしないね?」

「ほんと。楽しい所だね。ここでいると、どんな病気でも治りそうな気になる」

 その事に対して恭子は返事をしなかった。

「俺、また病気になって、この病院戻ってこようかな」

「何、馬鹿なこと言ってるの?」

 恭子は笑いながら言った。

「でも、この病院は最高だよ」

「あれなにかしら?」

 暫く行ったところで恭子は言った。

「どれ?」

「ほら、あの白い建物」

 2人が近付くと、それはチャペルだった。

「チャペルまであるの?」

 2人はどっちからともなく自然に中に入った。中は普通の教会と何ら変わりがなかった。バージンロードがあり、その両側には長椅子が並べられている。

「ここで結婚式を挙げたいね」

 恭子は興奮し、目を輝かしていた。そして2人でバージンロードを歩き、前まで行った。

「結婚式のとき、ここで神父さんと誓うのね」

「誓いのキッスをしてください」

 聡はふざけて言い、2人はキスをした。これは2人にとって初めてのキッスだった。恭子はロマンチックな気分に浸った。

「ここで結婚式を挙げたい」

 恭子はまた同じ事を言った。それだけ気持ちが高ぶっていたのだ。恭子の頭の中は、結婚式のことで、いっぱいになっていた。

「指輪の授与を行ってください」

 聡はまたふざけて言い、看護婦にもらい自分の指にしていた指輪を、恭子の指にはめた。

「うれしー。ねえ、ねえ、似合う?」

 恭子は興奮しながら、指を広げ、聡に見せた。

「似合うよ」

 聡がそう言うと、恭子は喜んだ。恭子は嬉しくて涙が出てきた。

 恭子は力を抜き、聡に寄りかかった。聡は長椅子に座り、恭子を自分の膝の上に寝かせた。恭子は指を広げ、指輪を天井の光にかざしている。星の光がステンドグラスを通り、指輪を光らせた。

「この病院に来て、全ての願いが叶ったみたい」

 恭子は聡の膝の上で静かに喋った。聡は、それを黙って聞いていた。

「さっき聡が言っていた、何か夢を1つ叶えるって言っていたの叶ったみたい。これで思い残すことは無いみたい。いつ死んでも思い残すことはないよ」

「そんなこと言うなよ。病気は気持ちで、どうにでもなるもんだよ」

「私この病院に来て、本当によかった。病院自体が奇麗で、病室も奇麗。病室から眺める景色も奇麗。食事も美味しいし、温泉や料亭もよかった。サクラヒルズ、バードヒルズ、グリーンヒルズもよかった。それに何よりも聡に会えたことが一番よかった。それに結婚式のまねごとも出来たし」

 恭子はゆっくり喋った。

「そんなこと言うなよ。なんか死んでいくみたいじゃないか」

「でも私、何時死んでもいい覚悟は出来たみたい」

 聡はそれ以上、慰める気力が湧かなかった。いくら慰めても、恭子は聞いてくれないのだ。

「私は、ここへ来て毎日が充実しているの。私が何時死ぬか判らないけど、それまでよろしくお願いします」

 聡はそれ以上喋ると、ロマンチックな雰囲気が壊れると思い、聞き役に徹した。

「本当に私とつき合ってくれてありがとう」

 恭子はゆっくり喋り、聡は恭子の頭を優しくなでた。

「本当に感謝しているのよ」

 と言い恭子が聡の方を見、聡が恭子を見たとき、恭子は目に涙を浮かべていた。聡は恭子の気持ちが伝わり悲しくなってきた。もし自分に力があるのなら、恭子の命を救ってあげたいと思った。しかし1人の人間が、人の命を助けることが出来ない事は周知の通りだ。聡は恭子を強く抱きしめ、聡の目も涙で溢れていた。そして2人は、そのまま眠りに就いた。

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11へつづく