TOP > 小説 > 六甲の丘



 

 翌朝、いつものように1階の喫茶店で朝食を食べていた。サンドイッチと紅茶を飲んでいるが、いつものように美味しくない。と言うのも昨日の隣の人の声が気になったからだ。

「隣りの人、どんな人だったかな?」

 考えてみたが会ったことがない。

「何の病気なのかな?、もうすぐ死ぬのかな?」

 考えると暗くなるばかりだ。食事を機械的に口に運び、食欲を満たすと、病室に戻った。

 

 恭子は病室に戻ると、あまり考えても仕方がないことだと気を取り戻し、また小説を読むことにした。

 その家は大きかった。その家にはご主人と奥様と、私を入れて、お手伝いさん5人が一緒に暮らしていた。そしてもう1人、誰だか判らない男の人が1人いる。その人は不気味な人で、この人が来て2年にもなるのに、まだ一度も会話したことがない。いつも車椅子に乗り、押し黙り、1人でいることが多い。廊下ですれ違っても、挨拶もしないし、表情一つ変えないのが不気味だ。まるで私が居ないかのように無視をして、通り過ぎる。私が見えてないのではとも思ったが、目は正常らしい。

 不気味に思うのはそれだけではない。以前から思っていたが、この車椅子というのもおかしい。本当に足が悪いのか疑問に感じている。と言うのも私が以前、この男の足の上に物を落とした事があり、私は慌てて平謝りをし、足の上の物を取り除いた。そのとき手が自然に足に触れドキッとした。普通なら車椅子に乗っている人の足は筋肉が細っているが、この人の足は違っていたのだ。筋肉質であったのだ。鍛えた時のように筋肉が盛り上がっていたのだ。

 最近奥様とお手伝いさんが相次いで行方不明になっている。私はこの人が事件に関わっているのではないかと思えて仕方がない。しかしご主人は違うと言っている。そもそもご主人とこの車椅子の男との関係もおかしい。2年ほど前、ご主人が急に、この男を連れてきて、それ以来ずーと、この家に居候している。この男に関しては疑問がつきない。

 ある日お手伝いさんが1人いなくなったとき、私は車椅子だけが、ほったらかしになっているのを見た。その人が乗っていなかったのだ。今考えると不思議なことだが、私は関わりたくないので、あまり気にせずにいた。それから30分位して廊下で、この男が乗った車椅子とすれ違った。この男は不気味にニヤッと笑い、私の方を見ていた。そのとき私は何かいいようのない不気味さに戦慄が走った。その直後、みんなはお手伝いさんがいなくなったと騒ぎ出した。私はこの男を疑うと共に、あの男のにやけた顔を思い出して恐怖を感じた。

 そして暫くした日の夜、私は寝る前の戸締まりをしようと部屋を見て回った。雨戸を閉めようとしたとき、誰かが庭で穴を掘っているのが見えた。こんな夜中に不思議だったが、恐怖で足がすくんだ。私はそのとき「あの男だ!車椅子の男に間違いない!」と思った。ここで見ていることがばれれば私も殺されるかもしれないと思い、知らないふりをして、戸締まりや、ガスの元栓が閉まっているかのチェックをし、明日の支度を少しし30分くらいした後、部屋に戻った。

 そのときだった戦慄が走ったのは。部屋の扉を開けた瞬間、その男が私の部屋に立っていたのだ。この時の恐怖は、言い様のないものだった。足がすくんで、声も出ず、体は硬直していた。身動き出来ないながらも、頭の中では、自分の推理が当たっていたのだと、変な満足感を感じていた。その男は、私の方を向いて、私を待っていたかのように立ってた。しかも2本の足でちゃんと立っている。恐怖のあまり声が出ず、ぶるぶる震えている私をいいことに、男は不気味に笑い、一言言った。

「見たな」

 私は殺されると思い、顔からは血の気が引き、まるで全身を冷たい血液が流れているような錯覚を覚えた。

 

 そのとき病室の扉が開き、恭子はドキッとした。

「どうしたのそんなに驚いて」

 看護婦が入ってきた。小説の世界と交錯し、車椅子の男が入ってきたのだと錯覚したのだ。

「どう調子は?」

「今日はいいみたい」

「昨日、倒れたからびっくりしたわ」

 看護婦はニコニコしながら言った。

 

「昨日変な声聞いたの」

 恭子は神妙な感じで、しゃべり出した。

「何。恐い」

 看護婦は明るい笑顔で、びっくりして見せた。

「隣の人の苦しそうな声が聞こえたの」

 その言葉を聞き、看護婦の表情も一変した。いつものニコニコした表情は消え、真剣な表情に変わっていた。

「隣の人、ガンなの」

「ガンなの?」

 恭子は驚いた。

「手術しようとしてお腹を開けたんだけど、転移がひどくて、何もせずにお腹を閉じたの」

「もう助からないの?」

「可愛そうだけどね」

 恭子も驚き、可愛そうな気持ちになったが、また一方で自分の行く末を暗示しているかのような感じがし、気持ちが暗くなった。看護婦に「絶対死なせない」と言われた以上、自分の気持ちを正直に言えず、下を向いていると、涙が溢れてきた。それに気づいた看護婦は、恭子を気遣い、

「大丈夫よ、恭子ちゃん」

 と言い、優しく背中をさすった。そのとき医院長先生が入ってきた。

「調子どう?」

「いいみたいです」

 看護婦が答えた。

「そう。昨日倒れたけど、明日一時退院していいよ」

「えー、本当ですか?」

 恭子は涙を拭きながら、喜んだ。

「その変わり、あまり走ったりとか、無茶はしないように」

「はい」

 さっきの涙が嘘のように喜びに変わった。

 

 医院長先生と看護婦が帰った後、小説の続きを読んだ。

 私は車椅子の男が2本足で立っているのを見て凍り付いた。

「やっぱり足は悪く無かったのだ」

 自分の考えに確信を持った。更に奥様を殺したのも、お手伝いさんを殺したのも、この人だと確信を持った。次は私の番だと思ったら、更に恐ろしくなってきた。私は声を出して助けを呼ぼうとした瞬間、この男は私の首を掴み、声も出なくなり、血が通わなくなった顔は、真っ白になり、心臓はすごいスピードで動き出した。

「さっき掘っていた穴はお前の墓だ。奥様もお手伝いさんも俺が殺し、埋めたんだ」

 その言葉に私は、すべて自分の考えが正しかったことを悟った。しかし正解したからと言って、得するわけでもない。それが逆に恐怖の引き金と変わるだけだ。そして男は今までの事をしゃべり出した。その事で心臓の鼓動は更にスピードを上げた。逃げれない恐怖に足はすくみ、初めてこの男の声を聞くことで、体は震えた。

「俺は旦那に復讐しようとして、この家に居候したんだ。俺は旦那の会社で朝もなく夜もなく働かされた。そして婚期を逃し、ただ会社のために一生懸命働いた。しかし旦那は給料を上げてくれるわけでもなく、奴隷のように働かせた。あるとき旦那の運転する車に乗車し、お得意先に向かっているとき、交通事故を起こし俺は足が動けなくなったんだ。病院に行ったが一生歩けないだろうと言われた。そして旦那は俺を解雇した。このとき俺は復讐を誓ったんだ。旦那は俺の歩けない足を見て哀れに思ったのか、居候するように勧めてくれた。これは復讐のチャンスだと思った。そして2年間大人しく暮らし、実行に移すタイミングをねらっていた。幸い歩けなくなると言われた足も、回復することが出来たんだ。ご主人には内緒でリハビリもし、筋力トレーニングもしていた。俺にチャンスが訪れたのだ。まずは奥様を殺し、その後旦那を殺し、この家を乗っ取ろうと考えた」

「じゃー、お手伝いさんを殺したのはどうして?」

 私は何とか男の気をそらそうと思い、震えながら質問した。

「奥様を殺すとき、あのお手伝いさんに見られたんだ。だから殺したんだ」

「その2人はどうしたの?」

「2人は家の床下に隠して置いて、さっき埋めたんだ」

 私がさっき見ていたのは、2人を埋める為の穴を掘っていたのだと思った。

「さっきも言ったとおり、もう1つ穴を掘ってある。それは、お前を埋めるためだ。お前は俺の全てを見ていたからな」

 私が男を見ていたことを、全て男は知っていたのだと気づいて、更に恐怖が走った。

「なぜ私にそんな説明をするの」

「お前に恐怖感を味あわす為だ。ゆっくり息の根を止めてやる」

 私の心臓はバクバク言っていた。この現場から助かる方法を一生懸命考えたが、答えが出るはずもない。男はごつい手で私の首を掴め、じわじわ力を入れ始めた。私は声が出ないどころか、呼吸もろくに出来ない状態だ。

「もう駄目だ」

 私はそう思った瞬間、横にあった花瓶を掴み、男の頭めがけて叩き割った。男はそのショックで倒れた。花瓶の底の部分は割れ、破片が頭に刺さっていて血がにじんでいたが、男は立ち上がってきた。私は男が立ち上がってきたとき戦慄を感じた。

「殺される」

 そう思うと、私は無我夢中で、手で掴んでいた割れた花瓶を、男の胸めがけて力一杯に突き刺した。破片を掴んだ私の手からは血が流れていたが、男の巨体は倒れ、血が噴き出して、動かなくなった。

 私は胸をなで下ろしたが、次の瞬間、とんでもないことをしたと思い、別の恐怖を感じた。その後は無我夢中だった。男の足を両手でもって廊下を引きづった。重たいが、こうすれば女の私でも運んでいける。縁側まで引っ張っていくと、さっき男が掘っていた庭まで引っ張っていった。穴まで引っ張っていくと、そのまま男を落下させた。何とも上手いところに穴があったものだと思った瞬間、笑いがこみ上げてきた。この男は不運にも墓穴を自分で掘っていたのだ。そして私は、何食わぬ顔でその家に居座っていた。

 暫くは平穏無事に暮らしていたが、ある時警察の捜査の手が伸び、庭の穴が発見され、取り調べの末、私は逮捕された。一番の不幸は私だ。この男さえいなければ私は人殺しなどするはずもなかった。しかも3人とも私が殺したと警察は疑っている。私は警察の車で移送される途中、号泣した。更に2人を殺していないと言う疑いは最後まで晴れず、数ヶ月後、死刑が確定した。

 恭子はこの小説を読んで、主人公の女の人が可愛そうになり泣いた。私も同じ状況なら、同じ事をしたかもしれない。こうでもしないと自分が殺されている。どちらにしてもこの女は殺すか、殺されるかの運命の選択しかなかったのだと思うと、悲しくなった。

 

 恭子と聡はいつものようにグリーンガーデンでカプチーノを飲んでいた。

「この前、大丈夫だった?」

「心配してくれたの?」

 恭子は甘えたしゃべりで、聡を下からのぞき込み言った。

「当たり前だろ。死んでしまうかと思った」

 聡は真剣な顔を見せた。

「死ぬわけないでしょ。こんなにぴんぴんしているのに」

 と明るくはしゃいだ。

「本当に死ぬと思ったの?」

「それはちょっとオーバーかな」

 2人は笑った。

「もし私が死んだら、悲しんでくれる?」

「それは当たり前だよ」

「じゃー私が死ぬかもしれない難病だったらどうする?」

 男の表情は一変した。

「難病なのか?」

「そんなわけないでしょ」

 恭子は慌てて取り消した。

「そうだよな。それならもうすぐ退院できないもんな」

 恭子の言った悪気ない嘘を何時までも信じていた。

「でも何時退院できるの?」

「判らない」

 恭子は悲しい表情になった。

「でも明日、一時退院していいって」

 恭子は喜ぶと、聡も喜んでくれた。

「じゃー、明日遊びに行こうよ」

「どこへ連れて行ってくれる?」

 恭子の目は輝きに変わっていた。

「三宮行こうか?」

「行こう。久しぶりにショッピングしたくなった。看護婦さんにお世話になっているし、プレゼント貰ったので、お返ししないと」

「じゃー、明日迎えに来るから」

 2人は楽しそうに、話した。

 

「よかったね。明日三宮にデートしに行くの」

 看護婦は少しうらやましそうだった。

「2人でショッピングに行くの」

「いいね。何買うの?」

「服や靴を買って、あ、そうそう、お姉さんにもプレゼント買ってくるから」

 恭子は興奮していた。

「何買ってくれるか楽しみね」

「もし今度一時退院できたら、お姉さんと遊びに行きたいね」

 恭子は看護婦をお姉さんのように慕っていたからでた発言だ。

「行こうね」

 看護婦も嬉しそうに答えた。

「絶対だよ」

 恭子は興奮していた。興奮しすぎたのか、また胸が苦しくなった。それに看護婦は慌てて、胸をマッサージし、酸素吸入を行った。ナースコールをすると、医院長先生も駆けつけ、騒然とした雰囲気になった。

 暫くすると、痛みは治まったが、恭子の顔は青くなり、気持ちは沈んでいた。

「また倒れたらどうしよう?」

 恭子はすっかり落ち込んでいた。

「明日の一時退院は暫く延期ね。暫くは安静にしといて」

 と看護婦は静かに言った。院長先生も同感した。

「楽しみにしていたのに残念だけど、またいつか出来るから」

 医院長先生は励ましたが、恭子の表情は硬かった。

「私もうすぐ死ぬのかな」

 恭子は死を覚悟した表情を浮かべ、泣き出した。それを見た看護婦は慌てた。

「恭子ちゃんは死なないわ。医院長先生も私も、そんなことさせないわ」

「看護婦さんには私の気持ちは判らないわよ。病気でもないのに、私の気持ち判る分けないわ」

 恭子の顔からは笑顔がすっかり消え、看護婦の前で、今まで見せて事のない顔を見せ、キツい言葉を浴びせかけた。看護婦は、その言葉にショックを受けた。でも、さっきまで楽しそうに、明日のデートの話しをしていたのに、それが無くなったことで可愛そうにも感じていた。恭子は布団の中に潜り込むと、看護婦がいくら説得しても、自分は死ぬのだという気持ちを曲げることはなかった。その後、医院長先生と看護婦が帰るまでは、布団から頭を出すことはなかった。布団の中では目が腫れるほど泣いていたのだ。

 そしてこのことが恭子の更なる苦悩の引き金になった。

 

 恭子は1人になり、聡にデートの約束を断らないといけないことに気づいた。聡に何て言ったらいいか判らず頭を悩ました。彼なら判ってくれると考え、泣いていた涙を手で拭きながら電話をかけた。恭子は無理して明るさを装い、上手く断ったつもりだった。彼も理解してくれ、「じゃー、またいつか」と言ってくれると想像していた。しかし現実は違っていた。

「どうして駄目なんだよ」

 彼は怒っていた。

「明日、一時退院なんだろ」

「それが出来なくなったの」

 恭子はボソッと答えた。

「どうしてなんだよ」

 恭子は病気のことを上手く説明できない為、無言になり、聡は怒って電話を切ってしまった。病気の苦しさと、病気のことを言えない苦しさと、彼が理解してくれない悲しさで、また泣いてしまった。彼に病気のことを言えば楽になるかもしれないが、もしそれで嫌われたらどうしよう、という気持ちで言えない。難病で死ぬかもしれないと言って、それでも自分の近くにいてくれるのだろうか。離れていったときの悲しさは死ぬとき以上だ。そう考えると絶対言えない。恭子の目からは涙があふれてきた。いろんな事を、思い悩んだあげく、恭子は涙を拭きながら、机に向かい、彼へのあふれる気持ちを詩に書くことにした。

 

 

 私は愛している

 私を愛してくれて感謝している

 

 私の難病を判って欲しい

 私の病気のことを知って、私を受け入れてくれるのだろうか

 もし受け入れてくれると、苦しみも半分になるのに。幸せは倍になるのに

 

 また仲良かった昔に戻りたい

 2人出会えたことを誇りに思う

 2人出会えたことを神に感謝する

 

 死ぬ直前まで、いて欲しい

 死んだとき、自分のそばに一番いて欲しい

 

 

 詩を書いていて涙が止まらなくなった。まだ夕方4時頃だというのに何もする気が起こらず、布団の中に潜り込んだ。

 なぜ彼は判ってくれないのだ。そう考えると悔しい。

 あのとき胸が苦しくなったのが悪いんだと自分を責めた。こうなったら死んだ方がましだ。早く死にたい。頭の中を駆けめぐるのはその言葉ばかりだ。

 

 恭子はベットに寝ていて、母はベットの脇に座っていた。沈黙が続き、彼女の明るさは、表情から消えていた。

「どうしたの?」

 その言葉に恭子は泣き出した。今まで誰にも言えない気持ちが溢れ出した。

「私、何時死ぬのかな?」

「前に言ったことはごめんなさい。お母さんがうかつだったは。でもここの医院長先生優秀だから助けてくれるわ」

 その言葉に、恭子は動揺することもなく、またしゃべり出した。

「最近2回も、胸が苦しくなったの。看護婦さんの話では、よくなってないと言ってたわ」

 母は何て言っていいか判らなくなった。自分の迂闊な言葉で胸を痛めている娘を見て、自分も胸が苦しくなってきたので、明るい話題にしようと話を変えた。

「そう、彼が出来たんだって」

 母は明るい話題にしたつもりが、恭子は洪水のように目から涙を流した。

「どうしたの?彼と上手くいってないの?」

 

「私、死にたい」

 と一言言って布団の中に潜り込んだ。

 

 この日、また彼から携帯がかかってきた。

「さっきはごめん、少し言い過ぎたみたい」

 この言葉に恭子は胸をなで下ろした。これでやり直せるかもしれないと思った。

「明日の朝、迎えに行くから、遊びに行こ」

 恭子は彼が理解してくれてないことにがっくりし、何も答えれなかった。そして恭子が黙っていると、彼は驚くことを口にした。

「本当は俺以外に好きな人がいるんじゃないのか?俺をその気にさせて喜んでいたんだろ」

「そんなことないわ!」

 恭子はあふれ出る涙を我慢しながら、必死になって否定した。しかし虚しくも彼には通じなかった。そして彼は驚くべき言葉を発した。

「そんなに嫌なら別れよ」

 そう言うと彼は電話を切った。彼が判ってくれないことに悲しくなってきた。しかし元を正せば自分が「もうすぐ退院」だと嘘をついたことと、難病の事を包み隠さずハッキリ言えば、こんなトラブルも起きなかったのだろう。

 彼の別れようと言う言葉を思い出して、また1人になったことを考え、寂しさを感じた。

「これでまた死も近くなった。誰に咎(とが)められる事もなく死んでいける。明日、死のう」

 

 夜暗くなっているのに電気をつける気力もなく、暗がりでベットの上に1人で座っていると看護婦が入ってきて電気をつけた。

「どうしたの電気もつけずに」

 恭子は看護婦に抱きついて泣き出した。こんなときは人の温もりが欲しかった。恭子は看護婦に抱きつくと、看護婦は優しく背中をさすってくれた。

「彼と別れたの」

 その言葉に看護婦は驚いた。

「だって、この前まで楽しそうに話してたじゃない」

「私が悪いの。私の胸が苦しくなったから」

 そのとき看護婦も悲しい気持ちになってきた。

「だってしょうがないじゃないの。恭子ちゃんは、それが原因で入院しているんだから」

「彼、私がデートをキャンセルされたことに怒っているの。私が浮気しているのではないかって考えているみたい」

「それは私のせいでもあるわ?だって私が一時退院キャンセルしたんだから」

 看護婦は責任を感じた。

「ごめんね。こんな事になるとは思ってなかったから」

「お姉さんの責任じゃないの。私が嘘言ったのが悪いの。もうすぐ退院するって」

「じゃー、恭子ちゃんが難病だって言うのも知らないの?」

「うん」

 恭子は小さく頷いた。

「私、早く死にたい」

 看護婦は恭子の体をギュッと抱きしめた。そして看護婦は自分のことのように泣き出した。それを見て恭子も涙を流した。

 

 今日は泣いてばかりだったので、シャワーを浴びて涙を洗い流した。湯船に浸かっていると少しは気が晴れた。1時間以上湯船に浸かり、いろんな事を考えた。

 夜景を見ても悲しい気持ちになるだけだったので、布団の中に潜り込んだ。

「どうせ夏までは生きていないだろう」

「好きな花火ももう見れない」

「退院は無理としても、一時退院があれば、彼と遊園地に行ける。遊園地に行きジェットコースターに乗り、観覧車に乗ってキスする。それだけで満足。それが出来れば、私は死んでもいい。でもこの夢すら叶えることは無理なんだから」

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10へつづく